『博物館明治村』with Sony [ざれごと写真日記]
業務過剰につき、更新が滞っておりました...(-。−;)
26度目の結婚記念日と小生の永年勤続祝いと云う事で、久方ぶりに奥様の名古屋襲来となった。
こちらから東京に出向いてお祝いしようと話す優しい旦那様の気持ちを軽く去なして、
「アンタもいつまで名古屋にいるかわからないからねぇ〜。そちらで行きたい処があるのよぉ」
やはり彼女は、小生の単身赴任宅を主要な観光拠点としてしか考えていないようである
朝10時に名古屋駅に降り立つ妻を迎え、そのまま名鉄線に乗り換える...
そんな訳で、やってきました犬山市の『博物館明治村』
帝国ホテル正面玄関
惜しくも解体されていく建築物から価値あるものを選び、順次移築復元された、ここ明治村には、在りし日の日本建築の至宝が全国から集められている。
義父が元建築士であった為か、女房は女性にしては珍しく建築に造詣が深いのである。
皇居正門石橋飾電燈
川崎銀行本店
内閣文庫
広大な敷地の為に、園内を村営バス・京都市電・蒸気機関車を利用して移動するのだ
髙田小熊写真館
本郷喜之床
聖ザビエル天主堂ではミニコンサートが
67ある建造物のうち、約20カ所を廻るスタンプ帳を購入していた妻は、完全制覇に向け子供のように躍起となっていた。閉園時刻まであと1時間・・・中年夫婦にとっては、少々厳しい展開だったが、ここから走る、走る...妻は走る...亭主を置いて...
品川灯台
名古屋衛戍病院のX線装置「ダイアナ』
「花子とアン」の撮影にも使われた北里研究所本館
三重県庁
森鴎外・夏目漱石住宅
西郷従道邸
聖ヨハネ教会
そして、ついに廻りきるのでした...万歩計は14,000をゆうに超えていた...
帰りの名古屋行きバスに乗り込んだ頃には、超ご機嫌の妻と憔悴しきった亭主の好対照な夫婦の姿がありました。
それでも頑張る旦那様は、名古屋の自宅近所で評判のイタリアン料理店に奥様ご招待
美味でございましたぁ
そして、ワインがぶ飲みの女房の胸元に光る「謎のネックレス」
「30年永年勤続おめでとうございます。この間、会社からの祝い金で、記念に私になにか買ってあげると言っていたので、自分で選んできました。立て替えているので、あとで現金をくださいね。身体に注意して、あと15年位は頑張って働いてね」
小生のNewカメラ購入の夢は潰えた...
男は灰になるまで働くのじゃ
(明治村の写真館にて)
謹賀新年 [ざれごと写真日記]
(今年の年賀状より)
お健やかに新年をお迎えのことと
お慶び申し上げます
皆様のご多幸をお祈り申し上げます
平成27年元旦
今年もダラダラと綴って参りますので、お気軽にお立ち寄り戴ければ幸いです^^
つむじかぜ
「四季桜と瀬戸の小径」with Sony [ざれごと写真日記]
土曜日深夜、妻が久しぶりにナゴヤに入城。
東京発の最終一本前の新幹線に飛び乗った彼女は、長野の地震の影響で車内に30分ほど閉じ込められ、疲労困憊でやってきた...わけがあろうはずもなく、元気一杯なのだった
土曜日は妻が仕事、振替休日の月曜日は小生が取引先の結婚披露宴に招待されており、二人で過ごせる休日は日曜日だけなのだが、健気に夫に会いに来た奥様には敬意を示さなければならない。
「今回も家事は一切しませんので、明日一日は楽しませて下さいねぇ〜」
「は、はー。仰せの通りに...」
チャーターしたレンタカーで、甲斐甲斐しくも名古屋駅まで妻を迎えに行った亭主は、早くも我が儘マダムに仕えるコンシェルジュ状態である そう、お客様の要望が高い程、燃えるプロフェッショナルと化すのだ。
紅葉時期としては最高の休日。
お客人を悦ばせ、かつ渋滞などでストレスを感じさせない旅程にしなければならない。
悩んだ挙げ句の旦那様チョイスは、これだ
豊田市・小原四季桜
年に二度開花する「シキザクラ」の群生地であるが、特に秋の紅葉とのコントラストが人気の愛知県屈指の観光名所だ。この時期は「桜まつり」が催され、先週末は駐車場待ち1、2時間は当たり前の大混雑ぶりだったようだ。
そこで小生は、渋滞が想定される祭りのイベントなどが開催されるメイン会場を敢えて外し、遠く離れた第4会場に午前中に直行し、なんなく駐車スペースを確保。午後から、メイン会場からあぶれた車輛でごった返した状況を考えれば、小生の旅行プランは正解と、自画自賛。
「アナタにしては珍しく予想的中ね!それにしても凄い景色だわ〜」 奥様からも賞賛のお言葉を戴きました
秋に咲く桜とは、たまに出会う事もあったが、ここまで紅葉との彩りを美しく見せる様は初めてである。
イベントが催されているメイン会場「小原ふれあい公園」や他の会場の景色がどんな雰囲気かは、想像するしかないのだが、この第4会場「川見(せんみ)四季桜の里」の圧倒的迫力に言葉も無くし、ただただシャッターを切るのみだ。
女房もはしゃぎながらスケッチに勤しんでいる。
奥様の力作スケッチ
午後に入り、人混みが激しくなるのを尻目に、次の場所に移動だ。ここから約1時間かけて、愛知県内随一の紅葉のメッカである「瀬戸市・岩屋堂公園」を目指す。カーナビに従っていくと、瀬戸市郊外で本日初の渋滞に会う。目的地にはまだ大分距離があるのだが、この名所に向かう車の列に間違いはなさそうである。
「撤退!目的地変更〜」
むりやりUターンをし、渋滞とは逆方向に車を進める。反対車線の大渋滞を見ながら、瀬戸市内に向かって快適に車をとばす。結構走ったが、隣の渋滞の最後尾がまだ見えない。恐ろしい車の量だ。
愛知県は、TOYOTA様のおかげで、道路網の整備状況は全国トップクラスである。ゆえに、県民のクルマ利用率は非情に高く、何処に行くのも公共機関をあまり使わず、クルマで移動する傾向が強い。その為に渋滞にハマった時は、東京の比では無いのだが、名古屋市民はそんな事を恐れない。混むのが解っていてもクルマを使うのは、ナゴヤの常識のようなのである。
「この辺のクルマは、駐車場まで3時間かかるな...」と、呟きながら、愚妻との時間を有意義に過ごしたい旦那様が用意していた緊急非難用チョイスは「瀬戸の散策コース」だ。
「紅葉はもう堪能したから、ノンビリと瀬戸の町並みを歩こうか」
「アンタって、ほんとに渋滞とか行列が嫌いよね〜瀬戸物の町なんでしょ、楽しみだわ」
「瀬戸蔵ミュージアム」の駐車場に車を置き、『窯垣の小径』を歩く。
窯元の家やお洒落なギャラリー、昔の窯の跡などが密集し、窯業全盛期の往時を偲ばせる町並みだ。
観光客は、私達夫婦を除くと皆無。紅葉でごった返す隣の行楽地とは別世界の静けさである。
久しぶりに二人っきりで、街を歩いて、少々緊張したりして...
午後7時には帰宅。
自宅そばの串揚げ屋で恒例の祝杯となりました
翌日は、小生は午前から取引先の結婚披露宴、夜がこれまた取引関係の通夜という冠婚葬祭ダブルヘッダー。
「すまんのぉ〜、せっかく来てもらったのにな」
「いいの、いいの。家の廻りを散策して楽しんでるから。アンタの自転車を貸してくれる。云っときますが、今回は部屋の掃除は、本当にしませんからね。」
披露宴が終わり、夕刻に一旦帰宅。丁度、女房が帰り支度をしていたのだが、亭主の姿を見るや否や...
「アンタ、自転車のタイヤの空気が前も後も抜けてて、ぺったんこよ。自転車屋を探すだけでも大変だったわ。ちゃんとして下さい!それから、アンタの居ない間に、北海道の方から「毛ガニといくら」がクール便で贈られてきたわよ。どうせ、あなた一人じゃ食べないでしょうから、戴いて帰ります。あっ、結婚式の引き出物もいらないわよね〜」
「ひえっ〜〜〜〜」
来た時の三倍の荷物を抱えて、妻は颯爽と名古屋を去っていくのでありました...
そして新幹線を見送った旦那様は、白ネクタイを黒ネクタイに替え、独り葬祭場に向かうのでした。
私の居ぬ間に描いた妻のスケッチ「徳川園」
本当に今回は、家事を何もせずに嵐のように帰っていきおったわ〜
夜中にメールが...
「いろいろありがとうございました。新幹線は、結局、満席でしたが、毛ガニの箱が椅子代わりになって助かりました。家に着いた頃にはちょうど解凍されてて、美味しかったわ。娘が免許を取ったら、今度は二人でクルマで伺いますわ^^」
勘弁してくれぇ
祖父江のイチョウ with Sony [ざれごと写真日記]
稲沢市祖父江町のイチョウを鑑賞してきました
名古屋から名鉄一宮で尾西線に乗換え、山崎駅下車。自宅から1時間足らずで、黄色の町に到着である。
銀杏(ぎんなん)の生産日本一と云われる稲沢市祖父江町では、毎年この時期に収穫を祝っての「黄葉まつり」が街全体が黄色に染まった山崎地区で催されるのだ。
『紅葉』と呼ばれるように、秋の主役は当然「もみじ」なのだが、小生は真っ赤な彩りの中で健気に自己主張するイチョウの黄色も大好きだ。神宮外苑の銀杏並木などは、東京の秋の代名詞でもあるが、西日本では圧倒的にもみじに分が悪く、脇役扱いだ。だが、ここ祖父江町は凄い何しろ町の落葉樹の九割がイチョウなのだ。
山崎駅を降りるや否や、懐かしくも臭くて我慢ならないほどの銀杏の果肉の強烈な匂いが風に運ばれてくる。
思わず顔をしかめてしまうのだが、町を散策しているうちに、見事な黄色の独り舞台に目を奪われ、そんな匂いも忘れてしまう。祭典で賑わう町は、まさに未体験の黄色の世界だった。
イチョウ畑???が一杯
街中もイチョウだらけ
祐専寺のイチョウは樹齢300年
本日の昼飯「ぎんなんたこ焼き」
お土産は無論、当地の名産「藤九郎ぎんなん」
この秋の味覚は、深夜に東京から訪れた女房に奪われてしまうのだが...
西国三十三カ所札所巡り〜大津〜with Nex [ざれごと写真日記]
久しぶりに札所巡り...紅葉見頃には少々早いが、滋賀県大津市のふたつの寺院にお参りです。
第14番・三井寺(円城寺)
国宝重文級の名宝を多く保有する名刹だが、夕方近くの参拝だった為、観音堂で御朱印を戴いた時点で閉門。
唯一、偶然にも33年に一度開帳されない秘仏と対面する事が出来た。
如意輪観音座像
なんとも形容し難い美しいお顔立ちだ
第13番 石山寺
あえて夕刻から行動開始したのは、当院のライトアップが目的だったからだ。
紅葉は5分ほどだが、照明効果によって幻想的なムードが漂って来る。
多宝塔(国宝)
そのまま、深夜に京都市内に侵入。
1週間前には予約済みで満杯だった市内のホテルが、予想通り、前日キャンセルによりボチボチ空室が出ており、調子に乗って宿泊。翌日曜は、夕方に仕事が入っていたのだが、駆け足で京都の紅葉も堪能してきた。
南禅寺・天授庵
永観堂
久しぶりに再会した「見返り観音」は
やっぱり美しく、慈愛に満ちていた
考えてみれば、京都〜名古屋間は新幹線で30分。
もっと訪ねたいなぁ〜お小遣いに余裕させあれば...
「金魚!きんぎょ!!キンギョ!!!」 [ざれごと写真日記]
名古屋テレピア・ホールで開催されている『アート・アクアリウム展』を覗いて来ました。
『金魚』をモチーフにした光と音楽の造形という感じで、既存の水族館では味わえない我が国が誇る「金魚の美」に目から鱗。目まぐるしく変わるカラーライティングが、嗜好を凝らした水槽の中の金魚達の舞いを美しく引き立たせ、まさに「KOOL JAPAN」の雰囲気であった
人為的に交配を重ねた観賞魚であるのは知られた処だが、多種に亘る金魚をここまで一挙に見ると、人間の飽くなき美への執着に感嘆すると共に、人間の都合で目玉が飛び出したり、お岩さん状態の彼らの姿に哀愁まで感じてしまう小生だった。
きんぎょ・・・なんだか物悲しい響きがする。
『らんちう』performed by たま
平成の迷曲ロック〜凄えバンドでした
タグ:アートアクアリウム展 金魚
「爽快?チロルの旅へ」Final イタリア後編 [ざれごと写真日記]
ドロミテ観光最終日。
ボルツァーノから3時間かけて「黄金の盆地」と称されるコルティナ・ダンペッツオに向かう。
相も変わらず小雨混じりの曇り空が切れ目無く続く〜もう誰も嘆き悲しむ者はいない〜悟りの境地である
途中、静かな湖畔(DOBBIA湖)でトイレ休憩。
そして、今ツアーの目玉であるトレチーメ展望ハイキングの拠点となる麓の街のレストランで昼食を摂る。
街の後方に聳えるのが名峰トレチーメかぁ?・・・本当に、この天気で登るのかぁ〜
もしかすると、人生最期の食事になるかもしれないので、味わって戴くのだ
添乗員さん「今回はデザートは出しません。登山前にデザートを食べると無事に帰ってこられない、というのがこの地方の言い伝えなのです。」 などと、皆を元気づけているのか、脅しているのか...雲行きはますます怪しくなり、大粒の雨が
完全防備の日本人部隊は、トレチーメ登山口に到着。
決して本格的な登山ではなくハイキング程度のレベルらしいのだが、一応ここからは添乗員さんではなく、現地の登山ガイドが先導する事になる。
添乗員「20分程、平坦な道を歩いて山小屋風のレストランに着きます。今日は非常に悪天候ですので、まず、そこまで行って、それ以上登れるかどうか、ガイドさんの判断を仰ぎたいと思いま〜す。」
遥か昔、体重が現在の三分の二ぐらいだった学生時代、アルペンキャンピング同好会所属の経験がある小生は妻に囁く。「山の天候を嘗めたらアカン。勇気ある撤退というのが非常に大事なのだ!」
今の体型では全く説得力の無い亭主のアドバイスに聞く耳を持たない妻は「せっかくここまで来たんだから最後まで登りたいわよねぇ〜」と、隣の女性とおしゃべり中...
出発〜
何とか山小屋に到着...「寒い」...体感温度は5、6℃か...
添乗員「 ガイドさんと相談しました。ここからは急な登り坂です。天気が悪いので40分程早歩きで展望地点を目指し、すぐ戻ります。着いて行く自信の無い方は私と共にこの山小屋に残って下さい。頂上付近はここよりも更に寒いそうです。くれぐれも決して無理をなさらないように。はい、それでは2組に分かれま〜す。」
年配のご夫婦やいかにも華奢そうな女性らが、添乗員さんに着いて行く。
我が妻は、いち早くガイドさんに寄り添いながら、「じぃ〜」と私を見つめ「アンタ、どーするの」と口パク...
無謀...いや勇敢な旦那様は、登山組の最後尾に「そっ〜」と並ぶのだった
.....早くも3分で息が上がります。
僅かな勾配であっても、我が体重を受け止める下半身は悲鳴を上げ、薄い気圧とのダブルパンチで急激に呼吸が苦しくなってくる。勇者軍団の中でただ一人、荒い呼吸を繰り返すオッチャン一人。身体が重い、脚が重い、軽いミラーレスのカメラまで重く感じる。写真を撮る英気が萎えてくる...
と、小生と大分距離が離れた先頭集団が急に立ち止まり、ガイドさんの足元を皆で囲んで座り込んでいる。なんとか追いついて、覗き込むと...
野生のエーデルワイス
ヨーロッパ・アルプスで最も有名な高山植物であるが、最近は個体数が激減しており、野生種を発見するのが非常に困難になってきている「幻の花」との事。ガイドさんが言うには、我々はVeryラッキーなんだそうだ。直訳すれば「高貴な白」の花に、少々パワーを戴いた小生に、漸く廻りの風景を眺めるゆとりが生まれる。
相変わらず、目に前は霧に包まれた岩肌だが、遠景にドロミテの山々が顔を少し出し、足元には素朴な高山植物が咲き乱れている。 おお〜もう一踏ん張りじゃ
到着〜
「アンタ、頑張ったわねぇ〜」「ぜぇ、ぜぇ、余裕じゃ」
お決まりの記念ツーショットを後から見ると、満面笑みの妻と憔悴しきった小太り男が写っているのでした
絶景には恵まれなかったが、この忘れていた達成感は格別だ。だから、人間は山に登るのだ
帰りの下り道は楽勝だ。登りきった陶酔感が疲労感を凌駕しているのか、足取りが軽い。
登りと違い、余裕で写真を撮りながらの下山だ。山の眺めより、岩肌の間に咲く可憐な高山植物達に目を奪われる。
道も平坦となり、山小屋も目前となった処で事件は起きた。
「この花も綺麗だなぁ〜」と、青い花弁にレンズを向けていた時、バランスを崩してこけそうになり、不安定な体勢のまま脚を踏ん張った...「ゴキッ」...左足首を激しく挫いたのだった。サッカー少年時代に慢性ねん挫していた古傷と同じ場所だ。 「うっ、う、う、」痛くて声も出ない。
この花を撮った直後にコケル...遥か左前方に見えるのが女房の後姿〜声も届かない
痛みをこらえ、脚を引きずりながら山小屋になんとか到着。
お土産漁りに余念がない妻は一向に気づく様子が無い。 恥ずかしいので、こちらもあえて言わない。
一行は、トレチーメを後にし、「ドロミテの真珠」と呼ばれるミズリーナ湖に立ち寄り、最終宿泊地ベニスへ向かう。
脚を引きずりながら写真を撮り続けるアホな親爺です
ベニスに向かう途中のトイレ休憩で、妻は旦那の異変に漸く気づく。
「アンタ、脚ひきずってどうしたの?」
「こけた、ねん挫だ」
「何処で?その脚で山を登っていたの?」
「いや、最後の平坦道で...」
「バッカじゃない。そういえば、昔もこんな事があったわね」
新婚時代。札幌から東京への帰省中に羽田空港で同じようにこけた私は、新妻の肩を借りながら死ぬ思いで実家に帰ったのだった。蘇る25年前の恥ずかしき思い出
その夜。
ベニスのホテルの一室で、ツアー仲間の80歳の大先輩から戴いた「腰痛用のシップ薬」を甲斐甲斐しく旦那の足首に貼る妻の姿がありました。「きっと、明日の方がもっと痛くなるわよぉ〜頑張りなさいよ!」「わかっとるわい」
翌朝・・・本当に昨日より痛い
だが、初めて訪れた『水の都ベニス』をこの目で見ずしてホテルで寝ている訳にはいかないのだ
足首の腫れ具合から骨折の可能性は無さそうだ。
「アンタ、本当に大丈夫なのぉ〜?」「行くぜ」
ベニス本島サンタ・ルチア駅の向かいにある水上バス乗場カナル・グランデからサンマルコに向けて乗船。
曇り空の下、海と見紛う大運河を悠然と水上バスは進むと「アドリア海の女王」の異名を持つベニス=ヴェネツィアの旧市街が全貌を現してくる。
サンマルコ広場で下船。ここで自由行動...と言っても昼過ぎには空港に向かわなければならず、2時間半という極めて限られた時間だ。街のシンボルであるサンマルコ大聖堂は、外観は補修中なうえに、予想通りの長蛇の列。
集合時刻になっても入館は不可能そうなので、 とりあえずサンマルコ広場を抜けて街の散策へ。
脚を引きずりながらも写真も撮り続ける能天気な旦那の牛歩戦術に、相手にしていられないとばかりに妻は先を急ぐ。はぐれること三度。今では外国に居ても繋がるスマホに感謝しつつ、漸く私の脚を気遣ってかCafe休憩。
「ん〜ゴンドラに乗りた〜い。でも、二人だけだと値段高いし、誰かツアーの人が通らないかしらねぇ、一緒に乗れば安いし、楽しいし」
Cafeの出窓から外を物色していると、飛んで火にいるなんとやらのツアー客が2組。
「奥さんなら値段交渉も出来るから安心だわ」と、意気投合し即席6人乗りゴンドラツアー完成
45分間、ノンビリとゴンドラに揺られながら、小道なら小カナル(運河)から街を眺める。
集合20分前にゴンドラを下船。サンマルコ広場までゆっくり歩けばちょうど良い時間だ。
「さっき歩いた通りに素敵なモノがあったのよねぇ」
(げっ、まだ買物かぁ〜)
ベニスの小道はみな似通っていて、妻の意中の店がなかなか見つからない。小さな通りを何度も行き来し、ついに奥様は小さな画廊で手札大の水彩画を2つ購入。
「とりあえず、私だけでもが時間通りに行けば大丈夫だから」 と、彼女はまたもやダッシュで広場の集合場所をめざす。置いてけぼりの亭主は痛みをこらえながら歩き、遅れること3分。妻の予想通り、遅刻も目立たず合流となる。
なんとも忙しい傷心のベニスの街を私は一生忘れる事はないであろう...
さらば、ヴェネツィア
ヴェネツィア・テッセ空港〜
「アンタ、本当に脚の方は大丈夫なのぉ〜?」
「痛みに慣れ過ぎて、もうどうって事はないぜ」
上機嫌でお土産をトランクに詰め替える女房の傍らで、痛み止めの代わりにバファリンを飲み込む亭主の姿あり
天候にはあまり恵まれず、慣れない団体ツアーで不自由も多かったが、 銀婚式記念に相応しい私達夫婦らしい思い出深い海外旅行となりました。
「4、5年に一回位は贅沢に海外に行きたいわよねぇ。だからもアナタも健康でいてね。そしてずっと、ずっ〜〜と働いてくださいね。」
深夜の東京・自宅そばのラーメン屋でビールを呷りながら奥様は仰るのでした。
金婚式まで、私に安息の日が訪れる事は決してないであろう...
翌日、名古屋の仕事場に戻る私は、唯一女房が買ってくれた12ユーロのネクタイに僅かの愛情オーラを感じつつ、新幹線に乗り込むのでした。脚を引きずりながら。って、日本円で1,500円かぁ
◎ロック夜噺
ベニス発祥といえば「仮面舞踏会」〜「マスカレイド」 である。
となれば、やはりレオン・ラッセルの名バラードですな
『This Masquarade』
(ジョージ・ベンソン、カーペンターズのカバー曲でも有名)
「爽快?チロルの旅へ」③イタリア前編 [ざれごと写真日記]
インスブルックから、山道のヘアピンカーブを約2時間ぐるぐる何十回と蛇行しながら「オーバーグルグル」という洒落みたいな名の村に入る。そこからゴンドラを乗継ぎ、「ホーエムート山展望台」に登る...のだが、本日も雨
欧州全体を覆う低気圧が一向に動く気配が無い事を、既にツアー客全員は知っており、「一瞬でも晴れ間が見えれば儲けもの」みたいな前向きな失望感と妙な連帯感に山道を登るバスが包まれてくる。
やっぱり曇ってま〜す
風も強過ぎて、全員早々に展望台レストランに退避
と、店内の個室で結婚式が催されていた。この地方伝統のチロリアン衣装を纏った新郎新婦は、幸か不幸か、見ず知らずの東方からの異邦人達の温かい祝福を受ける事になる
昼食後下山、今ツアーのハイライトである世界遺産ドロミテ渓谷に向かう〜イタリア入国だぁ
4時間バスに揺られ、ドロミテの原風景と呼ばれる「サンタ・マッダレーナ村」に到着。
未ださほど観光地化されていない山村の宅地を抜け、小高い丘を徒歩で登る。漸く雨が上がり、つい今まで、ジャケット無しでは肌寒かったのが、額に汗が滲み始める。
なんと、雲も切れ目から太陽が顔を出しているではないかツアー客全員から歓声があがる。
今回初めての絶景に全員大はしゃぎ
人間の感情とは不思議なものだ。決して、雲ひとつ無い快晴ではないが、今までの悪天候に慣れ過ぎていた我々にとっては、待ち望んでいた景色となるのだ。
ここで添乗員さん「お待ちかねの風景です。此処で自由解散にします。30分後にバス乗場集合にしますので、ゆっくり景色を見ながらお戻り下さい!」
妻は、おもむろにスケッチブックをリュックから取り出す。
「おい、今から描き始めて間に合うか?バス乗場まで20分は歩くぞ」
「絶対、間に合わせます」
妻の筆遣いを見て、「あらまぁ〜お上手ねぇ〜」などとおだてていたツアー仲間達は、一人減り二人減り...そして、私達だけが丘の高台に取り残された。
集合時間まであと10分!
「終わったわ、アンタ、走るわよぉ〜」
丘を転げ落ちるようにダッシュする中年夫婦は、いつしか地元のジョッギングおじさんと並走する形に。
女房は、彼と談笑(もちろん英語で)しながら走るも、旦那様は息絶え絶え、膝はガクガク
集合時間1分前にバスに乗り込み余裕のセーフだったが、小生は、車が動き出すと同時に熟睡。目が覚めれば、この日の宿泊地・ボルツァーノのホテルに到着しているのであった。
翌日もドロミテ渓谷の高地コース観光である。
もちろん、天気は小雨混じりの曇り空だ。
午前中は、ゴンドラに乗り「ドロミテの展望台」と云われるアルペ・ディ・シウジに到着。
広大な丘陵地帯で3時間の自由散策タイム...放し飼いと言った方が正しい。
寒空の下、いきなり放牧されたツアー客の大半は成す術も無く、添乗員と共にお決まりの展望コースに着いていく。
お気軽夫婦の我々は、この時とばかりに群れから離れ、「これに乗れば奥の方に行けそうな気がする」といういい加減な旦那の思いつき通り、地元客でごった返す循環バスらしきものに乗り込むのだった。
本物の放し飼い
「たまにはアナタのカンも当たるのねぇ」と言われた通り、シウジの最北地区に辿り着く。
此処からロープウェイに乗れば、目前の山の頂上に登れるのだが、真っ白な雲の中に突っ込む気にもなれず、がら空きのホテルのガーデンで珈琲を啜る事に。女房はいつも通りのスケッチ開始、小生はカメラ小僧に。
ノンビリとした時間が流れる...やはり、我が夫婦にはこれなのだ。
遥か彼方にドロミテの名峰達が
寝そべる牝馬を優しく見守る牡馬...ん?誰かに似ているかも...
帰りのバスは途中の停留所で降り、あえて軽くウォーキング、制限時間たっぷり使いながら麓の集合場所に戻る。
一行は、相変わらずの曇天の中、ドロミテ街道の最高地点ボルドイ峠を通り、カレッツア湖畔経由でボルツァーノのホテルへ帰宿するのだった。
夕食は、旧市街に出てピザを戴く。
ボルツァーノは約10万人のイタリア共和国のコムーネ(自治体)なのだが、陽気なイタリアンとは異質な静かな佇まいが印象的な街だった。出来れば、ゆっくり散策したい処だが、そこは団体ツアーの哀しい定め。あっという間にバスで郊外のホテルへ移動となる。
シンプルなPIZZAは一人1枚〜これが絶品
私達夫婦にとって、何かと不満も募る団体ツアーなのだが、そんなストレスも解消させてくれるのが、ツアー仲間達との一体感だ。食事の度に、隣り合わせた方々と徐々に親しくなり、旅行後半にもなると、完全にお友達状態になっていく。メンバーの大半は、夫婦もしくは母娘のカップルだ。特に、30、40代の独身女性と母親の組み合わせが多いのには少々驚かされた。 更に、独り参加の勇敢な女性や中年男性同士のカップル、80代の老夫婦の方なども含めて千差万別なのだが、皆様全員が海外団体旅行のプロフェッショナルだ。確かに、「ドロミテ渓谷」を選択する時点で、メジャーな観光地を行き尽くした猛者達であるのは想像に難くなかったのだが。
団体ツアービギナーの我が夫婦は、彼らの過去の外遊武勇伝を聞き、圧倒されまくりなのだが、逆に「奥様みたいに外国語が話せて、フリー旅行できれば最高じゃないですか!」とおだてられ、妻はまんざらでもない様子。
食事後、ツアー初日から親しくなっていた独身OL女性が私の横に来てそっと囁く。
「ご主人、奥様への愛情オーラ出まくりですね」
「えっ、そうですかぁ〜女房は出てますかね?」
「残念ながら...」
「」
明日は、メインイベントのドロミテ・ハイキングだ。好天を夢見ながら、なかなか寝付けない旦那様でした...
(イタリア後編へと続く)
◎ロック夜話
PIZZAと言えば、国産ならこのCMが懐かしいのだが、関根麻里のバックで踊っているのが、小生垂涎のアイドル・ロック・グループ「BUONO!」だったとは、当時の私は知る由もなかった。
しかも、Buonoはイタリア語で「美味しい」の意味なのです
そして、彼女達の本気LIVE
『Bravo☆Bravo』
so この地球の ほんの一部しか
まだ知らないって 話す君がいる
ねぇ そのまなざし 真剣な気持ち
思わずハート どきどき 動き出したよ ブラボー!
まだ知らないって 話す君がいる
ねぇ そのまなざし 真剣な気持ち
思わずハート どきどき 動き出したよ ブラボー!
「爽快?チロルの旅へ」②オーストリア編 [ざれごと写真日記]
インスブルック・・・日本人には遥か昔の冬季オリンピック開催地の印象しかないオーストリアの都市だが、ハプスブルク家治世時代に都が置かれた歴史深いチロル州の州都である。
そして、この日は、今ツアー中唯一の「終日自由行動日」に充てられていた。ツアー客の半数近くは、オプショナル半日ツアーに参加していたが、我々夫婦は当然の如く市内フリー散策を選んだ。
今夏のヨーロッパは異常気象らしい。例年なら、連日晴天に恵まれる地域に低気圧が永く停滞し、日本の梅雨のような気候が続いているのだ。前日のドイツ最高峰の山頂ツアー時からチロル地方一帯に常に雨雲が覆っている。
それでも、時間に制約のある観光パターンから漸く開放された我々は、小雨が降りしきる古都・インスブルックを、楽しくそぞろ歩いてきた。
宿泊ホテル近くの新市街
そこから20分も歩けば、中世の面影残す旧市街に行ける
旧市街の中で、ひときわ人混みが溢れているのが、インスブルックの街のシンボルでもある「黄金の小屋根」だ。
マクシミリアン一世の婚姻記念に建てられたバロック様式の建築物で、この屋根は2,657枚の金箔を貼ったタイルでできているとの事。
旧市街自体は非常に小さく、名所だけ歩けば3時間もあれば足りる広さだが、立ち並ぶ土産物屋や専門店に次々と女房が飛び込むので、やたらと時間がかかる。いつもの事だが、その度に小生は店外で煙草を吹かせながら写真撮影に勤しむ。だが、流石に歩き疲れて「腹、減ったぁ〜」を連発、ランチタイムに突入。
ここからは、亭主の本領発揮で、下準備で調べておいた「カフェ・ザッハー」を何とか探し当て入店。そう、此処はウィーンのホテル・ザッハーと同じオリジナルのザッハトルテを食せるカフェなのだ。軽食の後、旦那様だけデザート注文 ワインを一人で飲んでいる女房に一口食わせるも「甘過ぎ〜だめぇ〜」の一言〜どうも酒飲みには、この味の奥深さが解らないらしい...
エスプレッソとの相性が最高のしつこ過ぎる甘さ〜クリームてんこ盛り
一服して元気回復、散策はダラダラと続く...やっと太陽が少し顔を覗かせてきた
王宮庭園で奥様恒例のスケッチタイム
雨に濡れた芝が煌めく
チェスを愉しむ地元のおじさま
死ぬ思いで登った時計台から市街を一望
偶然立ち寄った聖ヤコブ教会が素晴しい
(初日のミュンヘンで観たアザム教会と同じ製作者だった)
そして知らぬ間に荷物が増えている...
本日の奥様の戦利品一覧
①ブレーメンの音楽隊
②仕掛け時計
③手作り蠟燭と燭台
④スワロフスキーのネックレス(俺はミランダ・カーをお持ち帰りしたい〜)
⑤明後日のハイキング用にトレッキングシューズ1足
「自由行動≒フリーショッピング」とのお考えの奥様は、ご機嫌の様子でホテルに戻る。
この日は、夜のみのオプショナルツアーを予約済み(もちろん妻の一存)
夕食付きのチロリアン・ショーなのだ
JAZZ、ROCK好きの小生ではあるが、やはり地元の生の民族音楽は素晴しい
しかし、太もも筋肉剥き出しの男性の半ズボンでのダンスだけは...女房は興奮していたが...
そんな矢先にブロンドチロリアン美女を発見
Oh、Pretty
民族衣装は、その国の美女が着てこそ、その真価を発揮するものなのである。
「ん〜一緒に踊りた〜い」 旦那の不埒な妄想をよそに、ワインがぶ飲みの奥方もご機嫌さまだ
ホテルに戻るや、東京から持ってきたネックレスのペンダント部分を失くしているのに気づき、大騒ぎの一晩だったが、翌朝には「昨日、素敵なスワロフスキーを買ったから、まぁ、いいかぁ〜無くなったのはしようがないもんね」と、切り替えの早い妻に、感謝と尊敬の念を改めて強く抱く亭主でありました...
(イタリア編へと続く)
◎ロック夜話
チロル地方からアルプス、バイエルン地方に伝わる独特の歌唱法に「ヨーデル」がある。
ヨーデル使いのロックと云えばこれしかない
FOCUS「Hocus Pocus(悪魔の呪文)」
「爽快?チロルの旅へ」①ドイツ編 [ざれごと写真日記]
銀婚式祝いを何もしなかった報復いや代わりに、妻は小生のお盆休みすべてを埋め尽くす日程で、知らぬ間に海外ツアーを予約していたのだった。
旅行名は『ドイツアルプス・チロル・ドロミテ 3カ国さわやかパノラマツアー9日間』という何とも長たらしいネーミングで、世界遺産ドロミテ渓谷ハイキングをメインにしたヨーロッパ山巡りコースなのだ。
「アナタはお盆しか長期休暇を取れないから、この時期のツアーを探すのは大変だったのよぉ〜。ちょっと強行日程だし、ハイキングもありますので頑張って下さいね。オホホホホ〜」
...てな具合で、Nex-7一式、二日分の着替えと登山用のジャンパーをナップザックに詰めて、名古屋から金曜深夜に東京宅着。二人分のその他の備品は、既に妻がスーツケース1個に収納済み、翌日には成田空港へ集合!総勢29名のツアー客を乗せたカタール空港便は、深夜に日本を旅立つのであった。
お盆休み期間では安いツアーの為、恐怖の南回りの長旅だ。
成田〜ドーハ11時間、乗換え時間に5時間、ドーハ〜ミュンヘン6時間、ほぼ1日を費やして漸くミュンヘン市内に到着だ。
やっと着いたぁ〜
いきなり外人さん一杯だぁ〜当たり前だぁ〜
31年前の学生時代に親友と欧州フリー旅行をして以来のドイツ国だ。もちろん、ベルリンの壁が存在した時代だ。
ミュンヘンで思い起こされるのは、1972年のオリンピック開催で、日本男子バレーの奇跡の金メダル獲得とイスラエル選手村がゲリラの襲撃された「黒い9月事件」だ。
森田・猫田・大古・横田など名選手を揃えた当時の日本代表の強さは圧巻だったなぁ〜
東西冷戦が無くなっても、パレスチナ問題は未だに混沌としたままだなぁ〜
・・・と、歴史を振り返りながらミュンヘン市内をそぞろ歩く。
だが、団体ツアーの厳しい現実。ほとんど観光名所を巡らず、マリエン広場で一旦解散、自由時間は30分だ
旅行前の下調べも無為となるが、どうしても行きたかった小さな教会だけはと、妻を引き連れ小走りで探すことに...
アザム教会
濃密な装飾が他の教会とは一線を画す重厚な雰囲気を醸し出す
集合場所に戻ると、新市庁舎名物のからくり時計が丁度動き始めた。
メインストリートを駆け抜けるようにして、団体客はバス乗場に向かう。
単なるショッピング通りでも味わいが感じられる。
1時間半バスを走らせ、次に向かった観光場所は「オーバーアマガウ」という小さな街だ。
すべての民家が、壁に美しいフレスコ画を描いており、街全体がおとぎの国のような雰囲気だ。
これまた自由時間は40分、急がせすぎやぁ
夏の欧州は、日照時間が長い。
バスは暗くなり始めた山間を縫うように走り続け、20時近くに漸くガルミッシュ・パルテンキュルヘンという村のリゾートホテルに到着。
「アナタは気侭に写真を撮りたいでしょうけど、これが団体旅行なのよ。お慣れあそばせ、オホホホ〜」
1日目から団体ツアーの洗礼を浴び、少々グロッキー気味な亭主を横目に、妻はドイツビールを一気に飲み干しているのであった。
翌朝は6時モーニングコール。
今旅行一発目のパノラマ・ツアー。ドイツ最高峰の「ツークシュビッツ山」に登るのだ...だが、外は土砂降り
そんな事はお構いなしに、軍団は登山列車とロープウェイを乗り継いで、予定通り山頂に向かうのであった
晴れていればこんな感じ...
だが、現実は...
展望台から手の届く所に山頂が見えるのだが、この風雨の中で登頂を目指すのは専門装備の登山家だけ。
団体客は、展望レストランでマッタリとランチタイムとなる。
外気温9℃〜ホットコーヒーとケーキが旨い〜どうせ私は子供舌
濡れ鼠になった我々はいそいそと下山、山麓に佇む「アイプ湖」に立ち寄る。
湖畔で自由解散、30分後にバス集合・・・と云われても、誰も散策する者はいない。
そんな中...「けっこう素敵な景色〜スケッチしようかなぁ〜」(げぇ〜)
緑色の湖面が雨滴に揺れる
自由に写真を撮れない亭主をあざ笑っていた妻だが、実は彼女もストレスが溜まっていたようなのだ。
傘をさしながら根性で1枚を描き上げた妻と共に、ダッシュでバスに戻るも5分遅刻
(こんな雨の中で、よく時間潰したわねぇ〜)みたいな不審げな皆の視線に包まれながら、バスは国境を越し、オーストリアのインスブルックに向かうのであった...
団体行動が苦手なワガママ夫婦の行く末は如何に
(オーストリア編に続く)
◎ロック夜話
ドイツのロックバンドといえば、スコーピオンズやクラフトワークが真っ先に思い浮かぶのだが、小生の一押しはこのバンドかな。70年代プログレ世界で異彩を放ったジャーマンバンド〜日本人・ダモ鈴木も在籍していたCANだ。
CAN(カン)〜Vitamin C(1973)