「湯を沸かすほどの熱い愛」 [上映中飲食禁止じゃ!]
大きな母性の持ち主・双葉は、ある日、余命宣告を受ける。双葉には死ぬまでにやっておくべきことが4つあった。失踪した夫を連れ帰り、休業していた家業の銭湯を再開させ、気が優しい娘を独り立ちさせること。そして4つ目は誰も知らない双葉だけの秘密だった。(ぴあ映画生活より)
我が家は祖父の代から銭湯を営んでいた。
燃料にする廃材をのこぎりで切り分け、火の焚べ方を祖父に教えられた。父と一緒に、広い洗い場を隅々まで清掃した。幼少期の懐かしい思い出だ。そして、母が家事で手いっぱいの時には、番台に座ることも度々あった。「男子一生の夢」と云われた番台座りが日常的だったが、思春期前の少年には、その「素晴らしさ」は実感できなかったのだが...
中学生になり、番台厳禁になった頃から、客足が極端に遠のいてくる。近所の新築のアパートは、ユニットバス完備が当たり前の時代になり、学校の友人宅でも風呂なしの家は数える程となっていった。燃料を木材から重油に切り替えて間も無く石油代が高騰し、更に井戸水が枯渇し始め、水道水利用が多くなったのは、銭湯経営には致命的だったようだ。
小生が社会人になった翌年、父は廃業を決意する。
往時には、向島界隈で一番高い建物であった我が銭湯の煙突も、立ち並ぶマンションの陰に隠れ、ひっそりと取り壊されていった。新社会人として仕事に没頭していた私は、「時代の流れだから」と、当時は冷静に受け止めていたが、父の無念はいかほどのものだったろうか。昨年亡くなった父が、今の小生の年齢の時の決断だった。更地になった銭湯跡に立った時、私は初めて、失くしたモノを重みを感じるのであった。
という次第で、世が世なら風呂屋の三代目だった小生なので、この映画は当然必見なのであります
さて、銭湯の『三種の神器』と言えば...
まず、「ケロリンの風呂桶」
そして、入浴後のジュース
コーヒー牛乳が定番であるが、私の一押しは「パンピー」
絶対条件である「富士山」
2、3年おきに職人さんが描き換えるんですよ。その姿を眺めるのも楽しかったな^^
我が家は、廃業前はタイル張りの富士山に替えたけど...
絵の下のスペースには、近所の商店などの広告板をはめ込みます。
今作のロケ地は、実在する栃木県の銭湯のようだ。3種の神器は当然の如く、昭和のお風呂屋さんの条件を完璧に残したままの、まさに天然記念物的銭湯である。銭湯のシーンが映し出されるだけで、小生は懐かしさに打ち震えるのでした
...と、ほとんど映画の内容に触れていませんが...とにかく「宮沢りえ」の独壇場であります。
パワー漲るスーパーお母さんを熱演
余命短い事を知った彼女は、家族再生と休業中の銭湯の再興に奔走する。いじらしいまでに一途な正義感を持ち、「太陽に愛される生き方」を身も持って家族に示す。個人的には、宮沢のオンナの一面をもっと演じさせて欲しかったが、「これじゃ旦那も逃げ出すわ」と思わせる「男前」の女の設定だ。
NHK朝ドラでブレイクした杉咲花・19歳も、今後を期待させる好演技だった。童顔・幼児体型が、今役にはベストマッチした。
最近、情けない男役が定番のオダギリジョーは、定番通りのご活躍。この3人の演技が、お風呂さんが家族労務中心でなくては成り立たない商売である事を観る人に納得させる。
ストーリー展開は、お決まりのお涙頂戴パターンであり、目新しい演出やテクニカルな映像は皆無。銭湯の商売同様に地道に愚直に作られた作品だ。まぁ、小生は懐かしい昭和のお風呂屋さんを見せてもらっただけで、感無量なのだが...
主人公の「家族・人間」に対する気持ちを強く描き過ぎて、「家業」への拘りが表現されていなかったのが残念だ。「銭湯を再開する」必然性が感じられないのは、先代からの暖簾への想いや地元のお客さんとの絆を描ききれなかった事に他ならない。それができれば、奇抜なラストシーンが更に際立ったと思う。
名作「おくりびと」の銭湯のおばちゃん・吉行和子には、少々及ばなかった。
こうやって汗だくになって風呂を沸かすんですよ^^
薪で炊くとお湯は本当に柔らかく感じます!
『紅葉の平林寺』 with Sony α7 [ざれごと写真日記]
ぼちぼち遠出して紅葉狩りでもと思ったが、毎度ながらの朝寝坊にて、すでに女房様は外出ソファでTV鑑賞していた長女の横で、彼女が食い散らかしたパンの残りをブランチ状態の旦那様なのでした外は久しぶりの快晴
「う〜ん、どっかに行かねば」
高尾山は大混雑だろうし、以前感動した茨城県の西山御殿も片道最低90分だ。都内の名所は来週に取っておきたい。
...見つけましたよ、埼玉県新座市「平林寺」〜予定通り、車を飛ばして40分(駐車場探しに20分かかったけど)
『金鳳山 平林寺』・・・創建650年臨済宗の関東の名刹...新座近辺は仕事で昔は何度か訪れたが、全く知りませんでした。埼玉県の住宅地に、忽然と広大な松林が武蔵野の面影を残して拡がっていた。その一角に平林寺が佇む。彩りは、見頃一歩手前か。今にも燃え上がるような木の葉からようやく色づき始めたもの、すでに盛りを過ぎて朽ち果てる寸前まで、そしてまだまだ元気な緑を主張するもの...なんか人間みたいだ。この混ざり合った頃合いの彩が一番好き。
境内の裏には、大河内松平家代々の墓石が厳かに立ち並び、さらに奥には松林が延々と広がる。この緑地は昔時の武蔵野の風情を残したまま保全され、雑木林としては唯一の国の指定天然記念物だ。雑木林をそぞろ歩いていくと、小さな小高い丘に遭遇する。「野火止塚」という野山の火事を見張る土盛りの跡であり、新座市内の地名の由来にもなっている。まだ未開の地であった時代の関東平野の面影を感じることができる場所が、こんな近郊に在ったなんて、少々感無量の小生は、中途半端なブランチで空いた腹を帰り際の蕎麦屋で満たしたのでした。