「オリアンティ」驚異のブロンドギタリスト [キューティー・ブロンド病棟]
また、ジャケ買いをしてしまった
「マイケル・ジャクソン・バンド最期のギタリスト」のPOPとジャケット写真を見て、銀座の山野楽器で衝動買いをしてしまった。
Orianthi〜オリアンティ やはり当然のごとくブロンドでございます。
M・ジャクソンの80年代の活躍は強烈な印象として残っている。「Beat It」「スリラー」のPVを初めて見た時には「凄いミュージシャンだなぁ〜」と感心しきりであった。しかし、ポピュラーミュージックに視覚効果を全面的に取り入れたミュージック・ビデオを『ART』の領域にまで格上げさせた立役者であったのは事実ではあるが、彼の音楽自体は私の嗜好ではなかった訳で、熱狂的Fanという処まではならなかった。
2000年以降、鼻が落ちかかった頃にはゴシップ・タレントとしか認識していなかったので、彼の急逝に対して驚嘆はすれども残念ながらそれ以上の感情は無かったに等しい。
ゆえに死後に大ヒットした映画「THIS IS IT」も未見。オリアンティはこの幻のコンサートでのリード・ギタリストに抜擢されており、この映画によって彼女の存在が急激にクローズアップされたらしい。
「Beat It」
オリジナルのエディ・ヴァン・ヘレン様も喜ぶであろう完コピ
肝心のソロ・アルバムがまた心地良いです。彼女自身は1985年生まれであるが、楽曲群がかなり70〜80年代の香りが強い。(ライブでは、ジミヘンやサンタナのカバーをブルージーに演奏しています)
ギターの巧さは当然なのだが、歌唱力もなかなかなモノです。
アルバム1曲目「According To You」(昨年のサマソニから)
よく拝見すれば、決して超美形のブロンド娘ではないのだが、マニキュアが映えるライトハンド奏法とイヤらしい位唸るアーミング、そして風になびく金髪にイチコロです
そして、Steve Vai師匠との競演
かっちょぇ〜今後、目が離せないブロンドギタリストである
Shakira〜Waka Wakaで跳ね跳ね〜 [キューティー・ブロンド病棟]
やりきれない想いが募る今は、あえて目一杯胸が踊る唄を・・・
昨年のワールド・カップ南アフリカ大会での私のベスト3は
①スペイン涙の初優勝
②新生ドイツ大躍進
③サムライ・ジャパン大健闘
なのだが、番外編として『Shakiraとの再会』が隠れトップなのである。
Waka Waka(2010)
Shakira〜シャキーラ〜言わずと知れた今では世界をまたにかけるコロンビア出身のラテン・ポップ・シンガー。
アメリカ進出が大成功を収めた2002年頃から彼女の存在は知っていた。
デビュー当時は美しい黒髪。
ネイティブ・ブロンドではない彼女を、このカテゴリーに含める事は多少悩む所ではあるが、私は現在のブロンド・シャキーラに恋い焦がれているのでご容赦戴きたい
初めて彼女を観た印象は「やたらと体の柔らかいエロいネェチャンだなぁ〜」で、独特の強い声質と怪しい腰つきには気を惹かれていた。
Whenever,Whenever(2002)
しかしながら、この頃は音楽性以上にセクシー度が強烈すぎて、ブロンド・フェチの脳髄を刺激するまでには至らず、私の中では、数多の「セクシーアイドル」の中の一人にすぎなかった。
そして永らく彼女の音楽・映像とはかけ離れていたのだが、昨年のワールド・カップで冒頭のテーマソング「Waka Waka」で再会してしまった。
大会のキックオフ・コンサートの舞台で久しぶりに観たシャキーラは、私好みのオンナに成長していたのである
She Wolf(2010)
思わず一緒に「あ・うっ〜〜〜〜〜」と叫んでしまった。
女の厄年33歳〜大人の色香というか、全くいやらしく感じさせない柔らかい色気
「尻はあるが、胸はない」完璧な私仕様のプロポーションが繰り出すダンス・パフォーマンス。
完全にやられた
〜脳天唐竹かち割られ〜状態に陥った私は最新アルバムを購入。
素晴しい作品集だ。彼女の肢体を眺めずとも十分のラテン・ロック・アルバムの出来映え。
BGMとして聴いているだけでも、気持ちがウキウキしてくるノリの良さ。
母国語であるスペイン語の歌詞は全く意味を解さないが、彼女の意思の強さを感じさせるヴォーカルが、なんとも耳に心地良い。
本来はあまり聴くジャンルではないのだが、この底抜けに明るいラテン・リズムと最新のダンス・ミュージックの合体はある意味、初体験の感激
そして、スペイン語・英語・ポルトガル語・イタリア語・アラビア語の五カ国語を操るIQ140と云われる天才美女が造り出す音楽絵巻は、自身の演じるダンス・パフォーマンスを重ね合わせる事で完璧な「歌」となる。
Gypsy & Waka Waka(spanish ver.)
青森のねぶたではないが、思わず一緒に跳ねたくなってしまう。
今現在、私にとって最愛のブロンド歌姫である。
しつこいと云われようがもう一発「Waka Waka」(english ver.)
せめて底抜けの明るさとパワーを、陸奥の国の人々へ
『100号記念』アメリカ女子プロレスの甘い誘惑 [キューティー・ブロンド病棟]
ブログ「向島のつむじ風」立ち上げ一年にして、今回でようやく100本目の記事投稿となりました。
実は2005年に気合いを入れて初めてブログなるものに挑戦したのですが、この時は約5年間で6本の記事更新という「熱しやすく冷めやすい」性格そのものの怠慢ブロガーでありました。
昨冬、心機一転して「のんびり自分のペースで綴ろう」と新ブログを作ったわけですが、まさかこれほどまめに更新できるとは、自分自身でも驚きです。
昔より仕事に余裕ができた(閑職〜)事と、それ以上にこんな稚拙ブログにも立ち寄って温かいコメントを戴ける方がいらっしゃる事が、ここまで続けられた理由だと思います。(ありがたや、ありがたや)
という事で、今号からカテゴリーを若干増やして、さらに「ひとりよがり度」を上げていきたいと思います。
今回は趣きが少々違います
まして女子プロレスなどはビューティ・ペアやクラッシュギャルズなども全く眼中になかった私なのであるが、2年ほど前、偶然見た米女子プロレスの映像にかつてない衝撃を受けてしまった。
私好みのブロンド娘がモンスターとおぼしきレスラーに無惨にも一発のパワーボムで狩られてしまった。
Awesome Kong(オーサム・コング)
全日本女子プロレスでは「アメージング・コング」名で活躍した圧倒的な破壊力を持つカリフォルニア出身の女子レスラー。
日本で経験を積み、パワー・テクニック・パフォーマンス3拍子を兼ね備えた悪役(ヒール)として、2007年アメリカマット界のTNAで衝撃デビューを飾る。
巨体をフルに活かした必殺技“Awesome Bomb”を喰らって立ち上がれる選手は皆無。
日本女子プロレス界と違い、TNAでは容姿抜群の美人レスラーが大半。その美女軍団がこの黒き野獣に木っ端微塵に粉砕される。
私の愛するブロンド・ヤンキー娘達が必殺オーサム・ボムで失神し、白いマットに転がる様は衝撃を通り過ぎて爽快でさえある。(悪趣味と蔑んで下さい)
その無敵の怪物に敢然と立ち向かうレスラーがいた(ブロンドではないのだが)
Gail KIm(ゲイル・キム)
韓国系カナダ人のTNAの看板レスラー。
容姿・実力兼備の上、闘争心むき出しのファイトに定評がある。
抜群の運動神経により繰り出されるトップロープからのドロップ・キックは芸術的でさえある。
初代TNAウーマンズ王座を勝ち取った彼女は、チャンピオンの誇りを賭けて、日本から突如現れた怪物と戦うのである。
プロレスを筋書きのある格闘ショーとする事に私は異論はない。
そのショーを極上のエンターテイメントに仕上げるには、それなりの役者が必要である。
それには、身体能力・表現力が拮抗した者同士でなければ成立しない。
猛獣が兎を狩る姿に観客が興味を示すのは最初だけで、そう何度も見せつけられては愉しいものではない。オーサム・コングの強さは常人離れしており、彼女と複数回シングル・マッチを組める実力ある選手は意外と少ないのだった。
往時の『アントニオ猪木VSアンドレ・ザ・ジャイアント』のように二人の5回のシングルマッチは、宿命の対決としてTNAの歴史に刻まれるのである。
初戦コングの圧倒的パワーに屈し、次戦はコングの反則によるノーコンテスト。そして3戦目奇跡の雪辱を果たす
(笑ってしまう見事な演出だちょっと長い試合ですが・・・)
(必見)復讐に燃えるコングとの通算4戦目のタイトルマッチは鳥肌が立つエンディング
3発のオーサム・ボムにより見事に散ったゲイルやられっぷりも美しい
何度跳ね返されても立ち向かう勇姿
(5度の対戦を収めた見事な編集です)
惚れた・・・超美形では決してないのだが、穢れなきファイティング・スピリッツが心を打つ。
珍しくブロンド以外の外国人に胸躍らせた私は、彼女の情報・映像を探しまくるのであった。
日本ではプロレスが一世を風靡したのは一昔前。今やTVでのプロレス中継は皆無に等しいし、ましてアメリカの女子プロレスの情報となればなおさらである。
2009年当時、直近の映像がなかなか見当たらず、どうもすでに引退をしていたらしいという事実を掴んだのだった。リアルタイムの彼女の勇姿を観る事は、ついに叶わぬ夢となった。
それ以降、女子プロレスへの興味は急激に薄れ、ゲイルへの想いも記憶の片隅に消えかけた。
そんな2011年・・・衝撃の出会いが在った
Stevie Nicks〜我が潤わしのダミ声〜 [キューティー・ブロンド病棟]
Big Nameではあるが、この歌姫を語らずにはおけない。
Stevie Nicks ステーヴィー・ニックス〜言わずと知れたFleetwood Macのヴォーカリストであり、アメリカを代表するシンガーソングライターである。
少年期、硬派ハードロック一辺倒であった私は、ラジオから流れた当時米ビルボード・ナンバー1に輝いた1曲に金縛りにあってしまった。
美しいメロディーラインに絡み付く柔らかいE・ギター、Bass・Drumsのリズム隊のシンプルだが明確な音色。
男女の見事なハーモニー。そして何よりもリードヴォーカルの存在感あるハスキーヴォイス。
当時の私には、完璧なダイヤモンドの輝きを放った1曲に聴こえた。
早速アルバムを購入。
彼女こそ「Dreams」を書き下ろし自らヴォーカルをとった女性・・・Stevie Nicksだった。
(実は私のキューティー・ブロンド病(金髪愛好癖)の端緒は彼女であり、後日Goldie Hawnに出会う事により、完全に発病するのであるが)
Fleetwood Mac〜1967年、ドラムスのミック・フリートウッドを中心に結成された英国のブルースロック・バンド。初代ギタリストのピーター・グリーンが奏でる「ブラック・マジック・ウーマン」(後にサンタナがカバーし大ヒット)は名演だ。
その後度重なるメンバーチェンジを繰り返し、(余談だが1970前半のボブ・ウェルチ在籍時も個人的にはお気に入り)1974年ミックはフロントマン(リードギター&ヴォーカル)にアメリカで男女デュオで活動していたリンジー・バッキンガムを迎え、活動拠点をカリフォルニアに移す。
当時のリンジーのデュオのパートナーがスティーヴィーであり、どちらかというと彼女はリンジーのおまけとしてバンドに加入した経緯である。
・ミック・フリートウッド(ドラムス)
・ジョン・マクヴィー(ベース)
・クリスティン・マクヴィー(キーボード&ヴォーカル)
・リンジー・バッキンガム(ギター&ヴォーカル)
・ステーヴィー・ニックス(ヴォーカル)
(ちなみにジョン&クリスティンは夫婦、リンジー&スティーヴィーは恋人同棲中)
この新ラインアップで
「ファンタステック・マック」を発表。全米で大ヒットを収める。
上記の「噂」はこのメンバーによる2枚目のアルバム。
筋金入りの英国ロックのリズム隊を基盤に、ウエスト・コーストの爽やかな風が吹き捲くる。
リンジー・クリスティン・スティーヴィーの三者三様のソングライティングとヴォーカルは、作品全体に絶妙のバランスを醸し出す。
また、リンジーはギタリストとしての技術のみならず、細部に亘る緻密な楽曲のアレンジ等でプロヂューサーとしての実力も遺憾なく発揮した。
しかし何と言っても、1アルバム中2,3曲しかリードヴォーカルを担当しないスティヴィーの歌声が、私のとっては垂涎の1曲となるのである。
『ん〜スティヴィーは既に他の男のモノだったか〜悔しい』
当時はミュージック・ビデオもライブ映像もなく、歌声と僅かなジャケット写真だけで恋い焦がれた女性に妄想は膨らむ一方だ。
思いあまってデュオ時代のアルバム「バッキンガム・ニックス」も購入。
このジャケット写真もきわどいなぁ〜
作品自体は新生Macのサウンドの中核が、このふたりである事を強く印象づける内容。
演奏の洗練度はお世辞にも高いとは言えないが、リンジー&スティーヴィーの音楽感性に満ち満ちたアルバムである。
同時にふたりの仲睦まじい姿が想像され、私のジェラシー度もMAXに達したのは言うまでもない・・・
1977年師走。
ロック仲間からは誰も相手にされず、結局私は独り敢然と日本武道館に向かった。
Fleetwood Mac初来日コンサート。
武道館最上階の最後方席。
黒衣装の豆粒大のスティーヴィーが歌う「Rhiannon」に涙する高校生の姿があった・・・
実はこの頃には、リンジー&スティーヴィーは破局、ジョン&クリスティンは離婚。更にスティーヴィーの薬物中毒、ミックの破産が重なりバンドは空中分解状態。
すでにメンバーの絆が喪失されながらも、その後も作品を連発、ツアーも大盛況に収める処が“プロフェッショナル”たる所以なのだが、ついに1987年「タンゴ・イン・ザ・ナイト」を最後にリンジーが脱退。
Macは完全にスティーヴィー中心のバンドとしてしか成立せざる得なかった。
この頃はMTV全盛期でもあり、彼女の近況も目の当たりにする事が可能。
ようやく、私の手元に帰ってきた歌姫は、往時の「可愛い小悪魔」から「本物の魔女」の如く変貌していたのだった。
ダミ声度もパワーアップ
バンドは2名の新ギタリストを迎え再始動、「ビハインド・ザ・マスク」(1990)で一定の成功は収めるものの、スティーヴィー脱退後は1枚のアルバム「タイム」(1995)を残して実質活動停止状態となる。
と、突然1997年〜10年ぶりに往時のメンバーが再結成ライブ・アルバムを発表。
このDVDは涙モノだった。いにしえの名曲が、成熟した大人達によるアダルトな演奏。
スティーヴィーもリンジーもこの時点では、お互い違う生涯の伴侶を得て、充実した生活を送っていた。
若き頃、無邪気に愛し合い、そして憎しみ合って別れた二人が時を経て、相手の現在の幸せを讃え合う姿に感動した。
『Landslide』私のリアル恋愛の思い出の曲である。当時、片思いの同級生を想い浮かべた時、この歌が脳裏で自然とBGMとして流れていた。勇気を奮って告白し、彼女とはそれから4年間交際する事になるのだが・・・当然、今の嫁さんではない訳で・・・
リンジーとスティーヴィーの抱擁が、素敵な大人の姿を物語る。
KISSに年甲斐も無く照れる彼女のなんと可愛らしい事。
「Thank You」にお互いの素直な今の心境が窺える。
小悪魔から魔女へ、そして菩薩の如く慈悲に満ち満ちた歌姫の姿がそこにあった。
流れる月日が、スティーヴィーのダミ声をこれほどまでに優しく・柔らかく・力強くさせ、リンジーのフィンガー・ピッキングは、更に深みと哀愁を帯びた音色を響かせるものとなった。
2003年引退したクリスティンを除く4名で「セイ・ユー・ウィル」を発表。
Fleetwood macは、今でもアメリカを代表するロック・バンドとして君臨し続けている。
そして、スティーヴィーは初めてのブロンド歌姫として、甘酸っぱい思い出と共に私の胸の奥に仕舞い込まれているのであった。
最後に幻の名曲と呼ばれた「Silver Springs」
若い美しい女の元に奔る恋人に向かって歌った曲。二人が破局直後に、スティーヴィーがリンジーに対して書いた未練たっぷりの恐ろしくかつ美しい名作なのである。今、こうしてステージ上で、その二人が見つめ合いながら歌う姿をなんと形容すべきか・・・
私のあの時の彼女は、今、幸せにしているのだろうか.....
Goldie Hawn〜私の永遠のマドンナ〜 [キューティー・ブロンド病棟]
今年もひとりよがりのネタでダラダラと綴っていきたいと思います。
私の女性の理想のタイプは、長い黒髪、少々華奢な位の体格、端正な顔立ち、細く美しいうなじ・・・と、所謂
典型的和風美人なのです。
しかし、それは日本人の場合に限るのである
学生の時に「プライベート・ベンジャミン」というコメディ映画を観て、主演女優に釘付け
『可愛いねえちゃんだなぁ〜』
〜ゴールディ・ホーン Goldie Hawn〜(実はこの時すでに35歳だったのだが)
小柄なブロンド娘。くりっとした大きな垂れ目、でかい口を更にがま蛙のように開けてバカ笑い。
お世辞にもナイス・プロポーションとは云えず、どちらかと云うと貧乳系に属する。
まさに大和撫子とは好対照なのだが、今まで外人娘に抱いていたイメージ〜八頭身美人でお高くとまった女〜を一変させた。
とにかく男を元気にさせる底抜けの「朗らかさ」=まさにCutie&Funnyな女優に一発KOされた。
この時を境に、私はキューティー・ブロンド病に罹り、永きに亘る闘病生活は現在にまで到るのである。
あの国粋主義の私が、下品な金髪娘に惚れてしまうなんて・・・人間、わからんもんだ。
当時のレンタルビデオで、彼女の出演作を借りまくった。(社会人になって当然同じビデオを大人買い)
ちなみに私の持っているすべてのMovie VHSは、全部で8本。うち7本がGoldieだ。
特に初期の頃(彼女が20代)の作品は、眩し過ぎる。
初主演作である「バタフライはフリー」(1972)は、私の病を慢性化させた記念碑的映画である。
(彼女が27歳の映像)
この白い下着姿が致命傷となった
(この作品はVHSを持っていたが、密林USAから輸入DVDも購入。すぐ消されるでしょうが・・・)
アパートの一室での二人芝居が基本。盲目の青年と天真爛漫娘との即製恋愛劇を、軽〜いタッチで描いた隠れた佳作。
続いて「ファール・プレイ」(1978)
これで、コメディアンヌとしての彼女の才能が開花した。
作品自体も、70年代のB級サスペンス・コメディ映画としても燦然と輝く名作・迷作
脇役のダドリー・ムーアの演技が凄い。(VHSから落としました)
その 全盛期の加藤茶以上だ
その この日本人をなめきった設定 胸開きドレスもよろしい
(70年代のアメリカ人から見たJAPANのイメージはこんなもんだったのでしょうね)
残念ながら極上の上記2作品は、国内ではDVD化されていない。
くだらない連ドラや邦画を特典たっぷりでDVD販売する日本のメーカーの見識が問われる
ところで彼女主演の最高傑作というと・・・しょせん庶民的B級コメディーが中心なので、世間を騒がした名作は無いのである。初出演の「サボテンの花」で、いきなりアカデミー助演女優賞を受賞して以来、賞というものには縁がない俳優だ。
しいて挙げればこれ
後の4人目の旦那様カート・ラッセルとの競演。(なんちゅう恋多き女)
この映画で「Nothing But her Butt」〜貧乳だけど、いいケツしてる〜を決定づけた。
この時42歳......
大金持ちの傲慢女が記憶喪失となり、昔苛めた大工の男に騙されて彼の妻に仕立て上げられると云うストーリー。
4人の悪ガキ共は父親と共謀して、家事経験の無い彼女を仕返しに苛め抜くのだが・・・
彼女に眠っていた母性と優しさが徐々に頭をもたげ、いつしか本物の家族のようになっていく...と、彼女の記憶が戻ってしまい・・・・
と、よくあるパターンなのだが、結構ホロリとさせられます。
なにしろ若くみえますねぇ
もう一発!
この頃57歳 豊胸手術をしたと思われ・・・・?
客観的に観れば、化粧映えはしているが決して美人の相でない、ケツのでかいネェチャンなのだが。
ドロ沼で健気にはしゃいでいるピンク色の醜いアヒルの子みたいなイメージかな。
まとわりついてきたら思わず抱きしめたくなるPUREな輝き、でもこちらから追いかけるとスルリと逃げてしまう奔放さ。その純粋な奔放さを、年を重ねても失わない驚異的な心の強さ。
実は歌手デビューもしています。
ショーン・キャシディになりたい
いかん、完全に独りよがりで嵌ってしまっている。
でも、めっちゃ可愛いよ〜この笑い方がたまらない!!!〜
(日本で言えば、「シャボン玉ホリデー」みたいな番組でしょうか?)
おまけ
予備知識無しで観たこの映画・・・この女優にも心奪われそうになったのだが
あの頃ペニー・レインと (1枚組) [DVD](2000)
- 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
- メディア: DVD
(内容自体は、70年代ROCK凝縮の垂涎の名作である!)
ケイト・ハドソン Kate Hudson 21歳・・・・なんとGoldieの娘じゃないかぁ
あやうく、母娘で惚れてしまう処だった。これじゃ親子丼じゃ。確かに口元と貧乳はそっくりなのである。
「ごめんケイト、君に一瞬心を奪われかけたけど、ボクは若い頃の君のお母さんに一生を捧げると誓ったんだよ」