今晩は天使の歌声を... [〜私の歌姫〜]
今日11月2日は、Eva Cassidyの17回目の命日だ。
女性ヴォーカル狂の小生の歌姫探しは永遠に続くであろうが、未だにエヴァ・キャシディの歌声を超える歌手とは出会っていない。過去記事はこちら→(http://tsumujikaze2.blog.so-net.ne.jp/2010-10-30)
『Fields of Gold』(Stingカバー)
33歳にして夭折した無名の歌手。
奇跡的に録音されていた死の直前のライブ演奏が世に出て、エヴァの音楽は世界的に評価される事となった。
彼女が天に召されて既に4年が経過していた。
秋の夜長に滲みる、ぴったりのこの曲を聴いてみる。
『枯葉(Autum Leaves)』
タグ:Eva Cassidy 命日
束の間の日米の歌姫たち [〜私の歌姫〜]
小生の少年期に、しかもごく短期間だけ、とことん憧れた二人の歌姫。
この時代には、『きれいなお姉さんは好きですか』のCM流行語は無かったが、まだ汚れを知らぬ思春期の少年は、年上の清楚な女性に思いを馳せる傾向が強かったのである。
初めて彼女の歌う姿をTVで観た時、「こんな美しくて、こんな綺麗な声で歌う人なんて、この世のモノではない」と、子供心に打震えたのである。
妹しか持たない小生は、「こんな綺麗な姉が居たら、人生がどんなに幸せだろうか」と夢見たのであった。
あべ静江〜1951年生まれ。三重県松阪市出身。大学生時に地方局の人気DJとなり、1973年「コーヒーショップ」で歌手デビュー。2ndシングル「みずいろの手紙」も大ヒット、いきなりNHK紅白歌合戦出場を果たしたシンデレラガールであり、当時のお茶の間を賑わせた70年代の正統派アイドルだ。
いかにも当時の音楽番組
しかし、徐々に人気は下降線を辿り、79年の「ヘイ・セニョリータ」を最後に80年代からは女優業に専念。サスペンスドラマや時代劇の脇役、激太りの元アイドルとしてお笑い番組への出演で時折見かける程度となってしまった。
その為、移り気な少年は「歌手・あべ静江」を見なくなってから、あっという間に彼女の存在を忘れ去った。成長と共に「好みの女性のタイプ」が変化していったのも理由であろうが...
しかし、今になってじっくり彼女のベスト盤を聴くと、彼女の声質の素晴しさ、初期の魅力溢れる楽曲(三木たかし、財津和夫の作曲は凄いや!)に、70年代歌謡曲のレベルの高さを再認識すると共に、私の「初代・きれいなおねえさん」を思い出すのであった。
〜彼女がアラ40の映像〜
やっぱり私にとっては永遠の「きれいなおねえさん」だった
何故か無性に、昔の歌謡曲が滲みる秋の夜
そして・・・
「静江お姉様」との出会いから暫くして、洋楽に目覚め始めた小生は、ラジオから流れた清々しい女性ヴォーカルの虜となる。当時は、海外アーチストのTV放送は滅多に無かったが、その声の持ち主の姿はヒット中のレコードのジャケット写真から判明する。
嗚呼、「きれいなおねえさん外人第一号」は、オリビア・ニュートン=ジョン
こんな金髪のお姉さんに「I LOVE YOU」なんて云われたら、ひぇ〜と痺れる中学生の小生は、次のヒット曲では、更に夢うつつになるのだった。
この「LIKE YOU〜」の低音部分が、大好き
決して洗練された近寄り難い美しさではない。天真爛漫な可愛さでもない。
街に出て来た田舎の高校のクラスで二番人気の女の子が持つような、素のままの純粋さとやぼったさが、「隣ん家の綺麗なお姉さん」風の親近感と酸っぱい憧憬の想いを抱かせる女性なのだ。
光輝くブロンド、麗しきターコイズの瞳、スリムな肢体、柔らかい声質、クリアな発音...多感な中学生のハートを鷲掴み
そして、このオリビア嬢は静江姉さんと違い、永きに亘り米音楽界のスターの座を守り続ける。
彼女はデビュー時のイメージを打ち破りながら、常に進化・変体を遂げていくのである。
愛しのカントリー娘が、ジョン・トラボルタと共にスタイリッシュに唄い踊るまでは、純真な少年はまだ許せた。
だが、80年代に入り、レオタードに身を包み、淫靡なエアロビクスを披露された日には、私は幻滅する以上に怒りまで覚えたのであった
(ん〜今見ると笑えるMVだなぁ)
憧れの清楚なお姉さんが、年を経るごとにやさぐれて、淫乱になっていく姿を見て「俺のお姉ちゃんを、こんな風にした奴は誰だぁ〜」と憤るのであった。
と、まぁ、未だ女性の清らかな部分にしか美点を見出せなかった純・少年時代の思い出の歌姫なのである。
オリビア還暦時の映像
あの涼声が年輪を刻み、なんとも味わい深い歌声に...
小生も、今ならわかる熟女の魅力
「トリクシー・ウィートリー」in Nagoya Club Quattro [〜私の歌姫〜]
以前、当ブログで紹介した私の歌姫・トリクシー・ウィートリー(Trixie Whiteley)(http://tsumujikaze2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-17)が初来日。ご当地名古屋にもやって来たのだ 当然、ライブ参戦です
9月11日〜開場19時・開演20時。
仕事を適当に切り上げ、会社から徒歩10分でクラブ・クアトロ〜この近さは奇跡的だ〜19時30分入場
開演30分前でも人影がまばらで、ステージ右最前列のスタンディングテーブル席をゲット〜これも奇跡的だ〜
ワンドリンクのジンジャーエールをチビチビ立ち飲みしながら開演を待つが、観客が一向に増えない...
数えてみる...20名いない...
常にミニシアターが空いている、一流ミュージシャンが来日しても必ずチケットは取れるのが、名古屋の有難い処なのだが、それはご当地の人口密度の低さ・文化の未成熟度の裏返しを意味するのか?
それでも、いくら日本で無名に近いアーチストでも、これはないやろぉ〜東京では有り得ないぜ 名古屋のプロモーター、しっかりせぇ
俺のイチオシ歌姫だぜぇダニエル・ラノワの愛弟子だぜぇクリス・ウィートリーの愛娘だぜぇ
そしてついに、栄町駅近辺でのアマチュア路上ライブに集る酔客より少ない観客の前で演奏は始まった
黒のタイトパンツとTシャツに身を包んだトリクシーが、3人の男を引き連れて、骨太のサウンドとあの命漲るヴォーカルを本邦初公開だぜ
父親譲りかつダニエル師匠直伝のフィンガー・ピッキングによるギター音は、激しさと哀しさ双方を包み込んだような陰影の深い色を帯び、ハイトーンから掠れ声まで全く破綻せずコントロールされる彼女の歌声が胸に深く刺さる。
サポートメンバーの演奏技術も高く、さすが、彼女が選んだ強者共という感じだ。
そして美しい
スリムな肢体は私好み、北欧生まれだからこのブロンドは本物のはずだ
黒いブラジャーの肩紐が何度か、演奏中にずり落ちて来て、オッチャンはそれだけでドキドキ
ライブ中盤。
演奏が終わる毎に「おおきに」「ありがとう」を繰り返していたトリクシーが突然、我々に話しかける。
「こんなバラバラに立ってないで、みんな一番前に集ってきてよ〜」
スタッフさんが、最前列の危険防止用の柵まで取り外したので、私はすかさず、ステージに走り寄り、かぶりつき状態となる。この辺りから、『少ないお客さんで寂しいけど、せっかく来てくれた皆さんの為に、最高の音楽やるわよぉ〜』みたいな開き直りが感じられ、僅か20名足らずの観客と渾然一体となった素晴しいライブ・パフォーマンスと化していった。
素足の歌姫
今日の雰囲気に近かったパリ公演の模様を...
私もこんな至近距離で堪能
少年期から何度もロック・コンサートに通った小生であるが、史上最小人数の観客での最高のライブを体験した。
こんな素晴らしいアーチストの生演奏を目の前で聴けた幸福
やっぱり彼女はホンモノであった。
ライブ終了後、喫煙室で独り余韻に浸りながら一服していたら、突然ベーシストとギタリストが入って来た。
私が「エクセレント」を何度も繰り返すと、「OH、アンタ、一番前にいた人ねぇ〜、サンキュー」と、彼ら二人と固い握手をかわすのだった。
と、トリクシーもCDの即売会の為に観客席に登場。もちろんCDを持っている小生は、わざわざ特製Tシャツを購入。そして彼女ににサインをおねだり
50過ぎのオッチャンご満悦の図
Oh〜ネイティブ・ブロンド
私のiPhoneの中のiTunesコレクションを彼女に覗かせ、
「I Like Your Music!」と、デビュー作「Fours Corner」を指差し、更に
「And Your Father's」と、彼女の亡き父・Chris Whitleyのアルバムも見せる。
トリクシーは少々驚いたような顔つきになりながら、
「ありがとう。私にとって最高の父であり、最高の音楽の師です。」 みたいな言葉を返し、私に握手を求める。
私の気のせいだろうが、彼女の瞳は少し潤んでいた...そして小生もジーン
Chris & Trixie Whitley
そして、こんな素晴らしアーチストに成長する
Black Dub時代の名曲
こんなに人気が無いなら私の独り占め状態でもいいのだが、やはりこの歌声を多くの方に聴いてもらいたいし、彼女の高い音楽性を理解して欲しい。そして、トリクシーのライブ・チケットがなかなか手に入らない日が何時か来るのを、心待ちにするのであった。
今回のライブでの最終曲の模様をヴォイスメモで雰囲気だけでも...
合いの手を入れているのは、私ともう一人のオッチャンでした
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
ダニエル・ラノワが見出した天才歌姫 [〜私の歌姫〜]
2010年、ダニエル・ラノワが結成した『Black Dub』〜私好みの絶品バンドです
guitar:Daniel Lanois
bass:Daryl Johnson
drums: Brian Blade
このメンバーで思い起こされるのはエミルー・ハリスの「Wrecking Ball」〜私の絶対的な超愛聴盤である。
そしてBlack Dub〜この超絶ミュージシャン達に気後れせず堂々とでリード・ヴォーカルを取るのは、ベルギー生まれのブロンド美女〜Trxie Whitley(トリクシー・ホワイトリー)
歴戦の雄の先輩方に一歩も引けを取らないプレイぶり。
一寸のぶれも無いある意味醒めたリズム・セクションに、粘着質のダニエルのギター音。そこへ、彼女の熱いブルース調の歌声が絡んでいく。この奇妙なアンバランスが、独特の雰囲気と共に快感を呼び起こす。
オルタナ・カントリーの浮遊感が漂うエミルー・ハリスとの共作とは対極のガチなブルースロック。だが、各プレイヤー達の研ぎすまされた感性が、単なるブルージーな泥臭さだけでない煌びやかさを散りばめる。
トリクシーの想いを込めたストレートなハスキー・ヴォイスはバラードで更に真価を発揮する
泣けるダニエルのギター、ブライアンが気持ち良過ぎるリズムを刻む
『Surely』 これは名曲だと思う
当時22歳にして、既にミューズに見入られた如くの歌声
瞬く間に自己の世界に引き込む「力」
この娘は『本物』だ
未だに、Black Dubとしての作品は冒頭のデビューアルバム一枚のみ。現在も、このユニットで活動しているのか、手元に資料が無く、不明である。ダニエル・ラノワが、交通事故で重体となったのが2010年の秋で、このグループを結成して間もなくの事である。既に彼は奇跡の復活劇を遂げ、今夏には来日、フジ・ロック・フェスティバルにも参戦予定である。しかし帯同メンバーに、トリクシーの名は無い。
この魅惑の歌姫の最近の動向を気にしていたのだが、なんと、ついにソロ・デビュー・アルバムを4月末(国内盤)に発表したではないかぁ
冒頭のビデオで、ブライアン相手に無謀にもドラムを叩いている彼女だが、実はマルチ・プレイヤーなのである。
ギターはダニエル仕込み?の渋いプレイを魅せてくれるし、ピアノも当然のように弾きこなす。
ついにベールを脱いだデビュー作は、詳細は不明だが、クレジットを見る限り、ストリングスとプログラミングを除いてほぼ全楽器を彼女が演奏しているようだ。
ダニエルの元を離れたトリクシーは、まさに自己の世界観を自らの手で作り込んでいく。マルチ・プレイヤーぶりには当然、脱帽なのだが、やはりこの命漲るヴォーカルのパワーに圧倒されてしまう
この彼女が今秋に来日との情報をゲット
具体的なスケジュールは未定のようだが、名古屋にも絶対に来てくれよぉ〜
トリクシーの音楽的素養の源泉には非常に興味を惹かれる処なのだが...
実は、彼女の父親は、あの伝説のブルースマンなのである
◎おまけ
クリス・ホワイトリー(Chris Whitley)
(1960〜2005)
45歳の若さでこの世を去ったブルース界のジミヘン
確かに父娘ソックリである。
トリクシー18歳時に偉大なる父は天に召される。
しかし、熱きブルース魂は着実に娘に引き継がれ、今まさに華開かんとしているのだ
この偉大なる孤高・異色のブルースマンに関しては、改めて別の機会にじっくりと語りたいと思います
『野宮真貴〜ピチカートファイヴ』涼風の猥声 [〜私の歌姫〜]
アベノミクスで景気浮揚か? 日銀恫喝の奥の手を使ってまでの金融政策。旧来型の公共投資や金融緩和で、果たして2%ものインフレ目標なぞ達成可能なのか、???は尽きない。とにかく、参院選までの人気取りの掛け声先行の尻切れとんぼの政策にだけで終わって欲しくないものだ。要は具体的な成長戦略。規制緩和等の官僚・族議員どもの守旧派の壁を打ち破れるか、安倍政権の真価が問われる。
それにしても、昨年末からの円安・株高が一本調子で進む現状は、どことなく、90年代のバブルに向かって一直線の時代を彷彿させるのである。11週連続日経ダウ続伸は、なんと42年ぶりとか
そう、夢の90年代そして夢が破れた90年代・・・この声質は、絶対に反則技だった
FMから流れていたこの曲を偶然聴いて、私は一瞬でトロケてしまったのだった。
なんと色っぽい声〜だけど全くイヤラシくない〜甘さと爽やかさが同居したような声質に
《ピチカート・ファイヴ(PIZZICATO FIVE)・・・1984年、4人のオリジナルメンバーで結成。何度かのメンバーチェンジを繰り返しながら、1990年に3代目ヴォーカリストとして「野宮真貴」を迎え、その後にスマッシュ・ヒットを連発、人気はうなぎ登りに。アメリカでもアルバム・デビューを果たし、ワールドツアーを敢行、世界的な評価を得るに到る。あのR・ストーンズのミック・ジャガーがピチカートのファンであると公言したのは有名な話である。1994年からは、オリジナルメンバーで唯一残った「小西康陽」と野宮真貴の二人のみのグループとして活動を続ける。類い稀なる小西のソングライティング能力と、これまた野宮の希有な美声との合体。また音楽性のみならずモデル体型の野宮を全面に押し出してのファッショナブルな演出は、コミカルな小西の個性ともども視覚面でも前例のない斬新さとなった。多くの洋楽要素を詰め込んだ所謂「渋谷系」サウンドの先駆者であり、その後のJ-POPや原宿系ファッションに強い影響を残したバンドでもある。
2001年解散。》
それ以降、私は野宮真貴の虜。そしてピチカートを聴き込むごとに、小西の深い音楽性にも驚嘆するのであった。
これも私のお気に入りの1曲『悲しい歌』
悲しい詩を明るいアップテンポの曲調で綴るピチカートの真骨頂
コーラス展開も異色、サビ部分もラストで一回のみ
ベースラインが素晴し過ぎ(syrup16gで活躍したキタダマキの演奏)
当時放送のTV番組「ウゴウゴルーガ2号」のテーマソングにもなった名曲
「東京は夜の七時」も小西アレンジで別の味わいに
野宮の普段の話し言葉だけでも鳥肌が立ってしまうのです
特に「た行」の発音が美し〜い
音域は広くないし、音程も微妙。小西の作る曲が難し過ぎるのを考慮しても、所謂「ヘタウマ系」歌手の部類であろう。しかし、決してシャウトせず、常に「おしゃれ」に歌うスタイルと凡人には持てぬ柔らかい声質は、他のナニモノにも代え難い魅力なのである。
当時のテレビ特番からの抜粋
無機質な「バービー人形」というよりオリエンタル風味を幾分湛えた「リカちゃん人形」に近い佇まい。ゆえに、この未知のキャラクターが、海外で人気を博したのも何となく理解できる。
とにかく、実際にお付き合いしたなら、正直、鼻持ちならない女性だったろうが、現在のニッポンでは絶滅危惧種に近いタイプだ。だからこそ昭和の男は、こんな女性との恋愛ゲームに憧れたりするのだ。
華やかなバブル期から世紀末への混沌とした東京を具現化したポップ&スタイリッシュ・アートの象徴であったグループ〜ピチカート・ファイヴは21世紀の到来と共に消えていく...「失われた10年」の到来と引き換えに。
さぁ、今年は日本経済逆襲の元年だ 働いて、稼いで、もっと遊ぶぜ
今、「きみみたいにきれいな女の子」に出会って、耳元でその声で囁かれたら、オッチャンは一発で貢ぐぜ
寒い夜は『アリソン・クラウス』でホックリ [〜私の歌姫〜]
仕事柄、カラオケもこなします
あくまでも仕事ですし、日本人の心の拠り所ですので、『演歌』を得意とします
ただし、所謂「ど演歌」は苦手でして、裕次郎や前川清などの「ムード演歌」を好んで歌います。
どうも「こぶし」を効かせるのが、どうも小っ恥ずかしく、どうしても北島三郎にはなれんのです。
しかし何故だか最近は、サブちゃんやひばり様のように歌いたいと願うのです。できれば、各地の民謡も覚えて、三味線をバックに歌いたいなどと夢見ておるのです。
これは完全に、加齢による日本人回帰なのだろうか?
それと関連している訳でも無いのですが、私は「カントリー系音楽」は元々は苦手でした。
アメリカ人の演歌と云えば、「カントリー」だと思うのですが、典型的なアコギとかヴァイオリンで妙に明るく振舞う演奏に、どうも肌が合わなかったのです。ブリティッシュ・ハード・ロック命だった若かりし頃からの小さな拘りというべきでしょうか。
しかし、「ど演歌」回帰している最近は、南部独特の土埃舞う「どカントリー」も結構、お好みになってきたから不思議である。
そんな私を「カントリー音楽」へ誘ったキッカケとなったアルバムが、ブリティッシュ・ハード・ロック繋がりなのだから、不思議なものだ。
我が愛しのLed Zeppelinのヴォーカリスト「ロバート・プラント」2007年発表のソロ・アルバム。
伝説のバンド解散から27年、ロバート還暦間際の作品である。
Zep狂の小生が当然の如く飛びついたCDだったのだが中身は、骨太のZepサウンドの片鱗も無く、彼の高音シャウトは完全封印〜カントリーを基調にした女性歌手とのデュエット・アルバムだったのだ。
拍子抜けしながらも聴き込むと、これが妙に気持ちが落ち着く不思議な作品となっていった。
枯れたロバートも悪くないなぁ〜と...
その直後、BSで偶然、上記アルバム・メンバーによるライブ映像を観る事になる・・・
この作品に心休まる理由に突然気付く
それは、ロバート・プラントの渋い枯れた声のせいではなく、お相手の女性歌手の美しく柔らかい歌声によるものだった主旋律を必死で歌うロバートを、優しくサポートするように、されど出過ぎず、軽く合わせてしまう余裕の歌唱力。これは完全に、彼女の方がヴォーカリストとしては格上でないか
煌めくブロンドも手伝って、この女性への興味が忽然と沸き上がっていった。
アリソン・クラウス(Alison Krauss)・・・イリノイ州生まれの41歳。知る人ぞ知るブルーグラス界の女王と呼ばれているが、私は全く知らなかったのだ。因に、ブルーグラスとは、カントリーがアメリカ南部発祥の音楽に対して、アメリカに入植したアイリッシュ達が北アイルランド伝承音楽をベースに発展させていった音楽なのだそうだ。使用する楽器がほぼ似通っているので、私程度では双方の聞き分けは困難だが、同じ南部育ちでもルーツが違う異母兄弟みたいな関係だ。
実は、冒頭のアルバムは、ロバートのアコースティック回帰のソロ・アルバムという訳では無く、彼が元々好きだったブルーグラスを、女王様とニューヨークの曲者ミュージシャンを招いた図式のコラボ作品みたいなものなのだ。
そして、彼女の評判の過去作と新作を購入。
ソロ・アルバムではなく、彼女とユニオン・ステーションという名のバックバンドと共同名義である。
彼女の大半の作品はこのスタイル〜Alison Krauss & Union Station〜であり、男性ヴォーカル曲も含まれている。
つまり、アリソン自身もフィドル(ヴァイオリン)を操るバンドの一員という位置づけなのだが、とにかく演奏が凄いのである。
まずはインストルメンタルで彼らの実力を
一糸乱れぬ絶技の数々特にドブロ(一番左)は神業や
そして彼らが紡ぐ弦の調べにアリソンの声が溶け込むと・・・
『Goodby Is All We Have』
不純物が一片も混ぜっていないような爽声...しかし決して無機質ではない人肌の温もりを感じさせる柔らかさ
New Albumの1曲目では、私は「Eva Cassidy」以来、久しぶりに女性ヴォーカルで目頭が熱くなった
『Paper Airplane』
この生演奏も凄過ぎる
彼女の美声を堪能するならソロ名義のこのアルバム。
ブルーグラスから若干距離を置き、ポップス色が一際強い作品だが、そこはアリソン。
スタイリッシュかつ渋めの極上のサウンドに仕上げている。
どちらにしても彼女の声質は、アコースティックな楽曲こそ、ひときわ光輝く。
柔らかい陽光を浴びる朝露を纏った若草の如く
彼女の歌声を独り真夜中に聴いていると、ホックリと温かい優しい心持ちになれる。
母の子守唄というより、幼少の頃に、年の離れた姉に絵本を読み聴かされているような気分。
アリソンは年下だし、私に姉はいないのだが...こんなお姉さんがいたらみたいな...そんな想いに耽る五十路男でございます
正確にはカントリーではないのだが、アメリカン・ルーツ・ミュージックに触れ合う契機となった魅惑の歌姫である。
では改めて冒頭のロバート・プラント・バンドとの競演を
Led Zeppelin「When The Levee Breaks」をアリソンのソロで
(バックは巨匠T・ボーン・バネット、変態ギタリストマーク・リボー)
素晴しいアレンジ 音楽って深いよなぁ〜
ジョー・ヘンリーの愛した歌姫達 [〜私の歌姫〜]
すでに3週間も経っている。
だが、クラブ・クアトロでのジョー・ヘンリー&リサ・ハニガンLIVEの興奮の炎が未だに体の中で鎮まっていない。なかなか他のジャンルの音楽を聴く気にならないほどで、それはそれで困ったもので...
ジョーは、シンガーソングライターとしての自身の音楽活動と共に、世界を股に掛けた敏腕プロデューサーの顔を併せ持つ。その対象は、ビッグネームから無名の新人にまで及び、今や米国ではルーツ・ミュージックの担い手としての評価が著しい。
そんなこんなで、ジョー・ヘンリー繋がりの女性ヴォーカリストを聴き直してみる。
◎ナタリー・ダンカン(Natalie Duncan)のデビュー・アルバムをジョー・ヘンリーがプロデュース。
この魔性の声 一度聴いたら忘れられない。
ジャマイカ人の母、ギリシャ系イギリス人を父に持つ英国生まれの23歳。
単なるソウルフルなシンガーに留まらないのは、全曲彼女の手による多彩なオリジナル曲を聴けば解るはずだ。
すべての楽器をこなす天才だが、特にピアノのピュアな旋律と歌声が溶け合った時は、鳥肌モノである
そして突如、英国に舞い降りたこの漆黒の歌姫のデビュー作のプロデューサーがジョー・ヘンリーなのだ
冒頭のソロで圧倒的なパフォーマンスを魅せるナタリーを、ジョーは溢れ出る楽器のアンサンブルの泉に沈める。
一流のスタジオ・ミュージシャンが造り出すナチュラルな調べは、命漲るナタリーの歌声を際立たせながら、或る時は反発し合い、そしてまた融け合う。独特な彼女のヴォーカルのみがフューチャーされた薄っぺらい作品に陥らぬようにと、ジョーの細心の配慮と計算を感じる。特にピアノとギターの”入れ方”が、なんともジョーらしい仕上がりだ。
アルバム4曲目『Sky Is Falling』
世界は広い。また異色の天才歌姫の登場である
お次は大ベテランの登場
◎ボニー・レイット(Bonnie Raitt)云わずとしれたブルース・ロックの女帝
泣く子も黙るスライド・ギターの唸りにロック姐御の熱きハートを感じる
1971年デビューの超ベテランであり、90年以降はグラミー賞常連のアメリカを代表するミュージシャンだ。
彼女の若かりし頃は、同じく若かりし小生はブリティッシュ・ハード・ロックにハマっており、ガチR&B色の強い彼女の音楽に触れる機会が意外と少なく、実はアルバムは1枚しか持っていなかったのだ。
そのボニー姐御が還暦を過ぎて、今春7年ぶりのオリジナルアルバムを発表。全12曲中8曲をセルフ・プロデュース、4曲がなんと、ジョー・ヘンリーのプロデュース。思わず、密林ポチッなのだ
4曲目『You Can't Fall Me Now』produced by Joe Henry
イントロのギターだけでも痺れる上に、姐御の哀愁漂うヴォーカルにホロリ
間奏のハーモニックスでイチコロ
「素晴しい」の一言に尽きる作品
R&B一直線の泥臭さは影を潜め、しかし軽いポップスにも陥らず、極上のバランスのロック・アルバム
ジョー製作の4曲は言うに及ばずなのだが、ボニーのセルフ・プロデュース曲も引けは取らない。
二人の音作りに共通点しているのは、各楽器が持つ本来の響きを見事に捉えて空間上に配置している点である。
ジョー・ヘンリーマニアの小生なので、彼の担当した楽曲は、ドラムやアコギの録音方法から、何となく選別できる。しかし、ボニー製作の曲も、楽器の息遣いが聞こえてくるようなピュアなサウンド作りで、一発で引き込まれる。
とにかく、ボニー姐さんの「バラード」の上手さは特筆。
少々埃っぽいカントリー系ブルース・ロッカーと決めつけていたのを訂正せねばならない。
いまさらながら、還暦過ぎのオバサマに夢中になってしまった元ロック小僧は私です
そして、やはり、やっぱりリサ・ハニガン(Lisa Hannigan)
デビュー作『Sea Sew (2008)』に続く2枚目の作品。
このアイルランドの無名の歌姫を、ジョー・ヘンリーがどのような経緯でプロデュースしたのかは定かでない。
断言出来るには、ジョーは自分の追い求める音楽とシンクロしたアーチストとしか手を握らないという事だ。
海外では既に売れっ子プロデューサーではあるが、単なる営利目的での安請け合いは、ビッグネーム・有名レーベルであろうと有り得ないのだ。
ジョーの心の琴線に触れたリサの歌声〜こんなにか細いのに、胸の奥深くまで滲み入る声質はある意味、異端でもある。
「Home」
(スタジオ盤ではストリングスを多用し、また違う魅力を楽しめる)
抑揚の少ない単調な歌なのに、いつまでも続いて欲しい、終わらないでくれと、思うのは私だけだろうか?
目の前で生リサ嬢が歌ってくれたし、スリムな肢体を堪能した小生としては、思い入れが強くなるのは致し方ない。
ステージ上の彼女は、凛とした清楚さを振り撒き、音楽への静かなる熱情に充ち満ちていた。
そして、彼女の個性は、美貌や独特の声質だけでなく、多彩な楽曲を生み出すソングライティングにも表れる
アルバム4曲目「What'll I Do」
エンヤ、U2、ヴァン・モリソン等のアイルランド出身の著名人と単純比較はできない。
だが、北極海の厳しい寒風と裏腹の垣間見る太陽の温もりを内包したケルト音楽の血は、リサの中にも脈々と流れているようである。
これからずっと追い続けたい歌姫だ もう一度、生リサに会いたいよぉ
私の偏愛するジョー・ヘンリーが見初めた歌姫達=私がハマる歌姫達
の方程式が完全に証明されました
「エイミー・マンに浸る」・・・新作を聴く [〜私の歌姫〜]
エイミー・マン(Aimee Mann)・・・米バージニア州生まれ、52歳(小生より1年先輩)のシンガーソングライター。
『私の歌姫リスト』の中で、エミルー・ハリスと並んで現役では最上位に位置する。無論、美しきブロンドもその理由のひとつではあるが、彼女の近年の音楽作りに共感、いや私の感性が共鳴しているからに他ならない。
声質、楽曲へのアプローチ法、詩情性...エイミー・ワールドを形作るパーツは、どれひとつ取っても彼女のたおやかかつ強靭な精神性を感じる。
彼女を知った最初のアルバムは
先日述べたMy Favorite Musicianであるジョー・ヘンリーがプロデュース。
彼女が目指したサウンドは「モット・ザ・フープルmeetオルタナ・カントリー」と云う。エイミーの詩情溢れる楽曲が、ジョーの手により70年代ロックの香り立込めるロック・ポエムに変貌する。ライブ形式で録音されたこの作品は、粗い手触り感と静謐な緊張感が絶妙なバランスの演奏により、21世紀のロックの名盤の1枚でもあると私は思う。
「GOODBYE CAROLINE」
そんな彼女もデビュー当初からは茨の道。
1980年代初期、ティル・チューズデイ(Til Tuseday)のヴォーカル兼ベーシストで活躍。
このバンド、テクノ風の完全なるニューウェイブ系
デビュー直後は結構売れて、来日コンサートもしたらしいのだが、徐々に人気は下降線へ
デビュー曲にして最大のヒット曲「Voices Carry」
今聴くと結構、新鮮だったりするのだが、美男子ぶりを発揮するエイミーお嬢様は、決して歌が巧いとはいえるレベルにあらず、無理に背伸びして演じている感じがする。
1989年に解散。 以降ソロ活動に専念し、音楽専門家の間では評価が高かったが、所属レコード会社の倒産や買収などのトラブルに次々と巻き込まれ、彼女が再度、表舞台に登場するのは21世紀に突入してからだ。
この作品の収録曲が、ポール・トーマス・アンダーソン監督の眼に留まり、映画「マグノリア」と、彼女の楽曲を収録したサントラ盤のヒットと共に、エイミー・マンの名が一躍世界中に知られる事となる。
Magnolia: Music from the Motion Picture
- アーティスト: Jon Brion
- 出版社/メーカー: Reprise / Wea
- 発売日: 1999/12/13
- メディア: CD
映画「マグノリア」の挿入曲『Save Me』
10年の月日が彼女をここまで進化させた。
最小限の楽器とその本来の音を調和させ、最大限いや無限の音世界を作ろうとする意欲。
ヴォーカルは、初期の頃の耳に纏わり付く「痛さ」は影を潜め、心情表現を第一にした柔らかさと逞しさを湛える。
2002年に発表された
は、大ヒットを記録。2005年の上記フォーゴトン・アームは、1枚のアルバムに男女の出会いと別れをロード・ムービー風に描き、「エイミー・マン」の名を不動のものとする。
これも、彼女の深化が窺える名盤ですが、敢えてエレキギターを使用しない楽器構成の為、ロック度は前作より落ち、私の評価は2番手以降。
そして4年ぶりの新作
彼女の作品の特徴のひとつは「詩」の素晴らしさ。
普段は輸入盤しか買わない私も、彼女のアルバムだけは、すべて対訳付きの日本盤を購入します。
オープニングの1曲目からヤラレマした
「Charmer」
アルバム全体から発せられる70年代の薫り。 チープなシンセサイザーの音が意図的に使われ、エレキギターの少々淀んだ響きが気持ちを掻きむしる。まさに70年代ポップ・ロック黄金時代を彷彿させる。しかし、単なるノスタルジーに押し流される事無く、「彼女の詩」は明確に自己を主張し、当時のポップサウンドにありがちな軽さを装いながらも、絶対的な「音の芯」が存在しているのである。
黒縁メガネで一見インテリ度アップであるが、多分30代の頃に彫れたタトゥーが彼女の本気度を偲ばせる。
やはり、今でも彼女はロック・レディなのである
何とも云えない頼りなさと力強さが同居した不可思議な心地良さ。
傑作である
◎おまけ
ソロ活動直後の不遇期での演奏。
映像は良くないが、当時の自分の音楽を模索しつつ前進する姿を感じる事ができる。
オンナとして一番華のある30歳前半。この頃が、私の理想のブロンド姐さんでもあります
グラム・ロックや女マーク・ボランや
荒削りでカッコいい姐さんです
孤高のSSW〜レイチェル・ヤマガタ〜 [〜私の歌姫〜]
また気付くのが遅れてしまった〜レイチェル・ヤマガタの新譜が出てましたぁ
彼女との出会いは8年前のデビュー・アルバムCDショップで試聴して即買いでした
「Worn Me Down」
ハイトーンの裏声に
レイチェル・ヤマガタ(Rachael Yamagata)・・・日系3世の父、イタリア系ドイツ人の母を持つ米バージニア州アーリントン生まれのシンガーソングライター。まさに日独伊・三国同盟アーチスト。ピアノ、ギターを弾きこなしながらのオリジナル曲の数々は、消え入りそうなスモーキー・ヴォイスに乗って七色の輝きを放つ
名うてのプロデューサー、バック・ミュージシャンを迎えてのデビュー作は、「私、暗いんです」的なレイチェルの声とキレの良い演奏との微妙なブレンド具合がなんとも心地良いロック・テイスト溢れる一品である。少々リフレインのしつこさが耳につく処もあるが、楽曲群の多様さは彼女のソングライターとしての非凡さも早くも感じさせる。
ピアノとドラマが心地良い〜
大和魂のDNAを僅かに引き継いだ霞がかった彼女の歌声は、たまに「コブシ」を効かせながら、伊カンツォーネの朗らかさとゲルマン民族の力強さを湛えたリズムと混じり合い、特異なレイチェルのアメリカン・ポップスを形成する。
4年後に発表されたセカンド・アルバムは、レイチェルの世界を更に深化させる。
満を持してのこの2枚組、Disk1とDisk2で全く性格を異にする。(国内版は1枚にまとめられているらしく、彼女のメッセージが伝わりにくいようだが)
Elephants: Teeth Sinking Into Heart
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: Warner Bros / Wea
- 発売日: 2008/10/14
- メディア: CD
Disk1より「Elephants』
Disk2より「Faster」
まさに静と動。 ダークなアート。
前作のPOP感は影を潜め、Disk1は静謐な湖面に落ちる花弁の如く、Disk2は深遠な森を切裂く濁流の如く、彼女の心情を、静かに激しく訴えかけてくる。
同一アーチストの作品とは思えない両極端な表現法。しかしこれこそが、彼女の幅広い音楽性の証であり、最大の魅力なのである。
そしてニュー・アルバム
彼女自身のレーベルを立ち上げ、Pledge Musicというサイトで募金を集めて、漸く完成されたこの作品は、ほとんど自主制作盤に近い内容なのである。前2作の好評価に飽き足らず、彼女は「自分の音楽」を自らで造る為、敢えて茨の道を突き進んで行ったようだ。コマーシャリズムに背を向け、大物プロデューサーや有力レーベルの力に頼らずに。
ギターを抱えるレイチェルをスマホで撮ったようなアンニュイな写真で飾るジャケットの中身は、彼女の自筆による歌詞とスポンサー達への感謝の言葉で一杯に埋め尽くされている。
そんな手作り感一杯の作品は、「ナチュラル」の一言
一筋縄ではいかないシンプルなリズムとメロディ肩に力が入っていない自然なヴォーカル
なんとはなしにアルバム1枚をBGM的に軽く聞き流す事もできるし、何度も繰り返し聴き込むと病み付きになる魔力を持った完成度。レイチェルお気に入りミュージシャンを集めてのサウンドと彼女のスモーキー・ヴォイスが、見事に溶け合う様は、過去2作には感じられなかったものだ。アコースティック中心の浮遊感溢れる音のキャンバス上を、彼女の想いを乗せた絵筆が静かに、しかし力強く色とりどりの詩を書き綴っていく。
彼女が多くを犠牲にしながら目指した「レイチェル・ワールド」が、いまひとつのステージに到達した
アルバム中、比較的ロック色の強いナンバー
「Even If I Don't」
ピアノほどギターは巧くないし、歌唱力が抜群な訳でもなく、声域も狭い。
されど、彼女の商業主義に流されず自分の音楽を追い続ける真摯な姿と、心に滲みるビター・ヴォイスに敬愛の念を隠せない小生なのです。
音楽へのアプローチ法は異なるが、ジョニ・ミッチェル、パティ・スミスに通じる「カリスマ」を感じてしまうのは私だけであろうか?
スタジオ・アルバム発表は、今までオリンピック開催並みの間隔なので、次作も大分先になりそうだが、長〜い目で注目のMy歌姫です。
『ノラ・ジョーンズ』New Album [〜私の歌姫〜]
ノラ姐さんの新譜〜即買い
ふらりと立ち寄ったCDショップで試聴して「ビビッ」と来たので購入。
ジャケットも素敵だったし
衝撃のデビュー作「Come Away With Me」から早10年。このアルバムは今でも愛聴盤の1枚だ。
楽曲・演奏・録音の三拍子揃った、単なる「癒し系JAZZヴォーカル」とは別次元の音楽性溢れる名作である。
父親が、あのジョージ・ハリソンも心酔したシタール奏者のラヴィ・シャンカール。
そんなカリスマを背負った彼女は、独特の柔らかく染み渡る歌声とオリエンタルな顔立ちにより一躍、時の人となった。
しかし、彼女を「JAZZヴォーカリスト」のカテゴリーに押し込めるのは時期尚早だったようだ。
デビュー直後の来日コンサートにも行ったが、オリジナルアルバムからの楽曲と共に多数のカントリー曲を披露したのは、新鮮な驚きであった。彼女の音楽原点に、深くカントリー・ミュージックが関わっているのを体感した。
その後、予想通りというか発表されるアルバムは、カントリーに大きく原点回帰した作品が多くなる。
しかし、2009年発表された「The Fall」はポップ・ロックに大きく転身、前作「ノラ・ジョーンズの自由時間」では、カントリー・ジャズ・ロックの各界の大物ミュージシャン達とのコラボ。まさにジャンル分け不能の歌姫として定着し、今や彼女をJAZZヴォーカリストと呼ぶ者は存在しないかもしれない。
今回の新作「Little Broken Hearts」は、どうも評価が真っ二つのようだ。
過去作から感じられる爽やかさや明るさが影を潜め、全編を通して「Dark」な印象がつきまとう。
デビュー作の持つ「癒し」を求めるリスナーを完全に裏切る作風であるから、この評価も理解できる。
私は、1970年代の「グラム・ロック」から受ける翳りと同じ物を感じ、全くスタイルは違うのだが、女デビッド・ボウイみたいな印象なのである。
この鬱屈とした気だるさに、結構病みつきとなり、タイトなリズムと魔力のようなヴォーカルの絡み合いに心奪われてしまう
天才歌姫は一体何処に向かっていくのだろう? 名盤である
『Say Goodbye』(アルバム2曲目)
それにしても、ジャケ写真は修正し過ぎやないか
これ以上肥えたら、涙を呑んで私の歌姫リストから外さざるを得ない
2002年当時『Don't Know Why』
◎最近、音楽を聴くのが一段と愉しい それは単身赴任宅でのNew オーディオ・システムに拠る処が大なのです。
家族も使う向島の自宅のシステムまで引越させる訳にもいかず、大阪で新たなオーディオ・セットを何とか低予算で作りました。
決してピュア・オーディオ派というマニアではないけれど、やはり好きな音楽は「自分の気に入った音」で聴きたい。東京宅では、DENONのCDプレイヤー・ミュージカル・フィディルティのプリメインアンプ、モニターオーディオのスピーカーというバリバリ英国製中心の仕様で。特にミュージカル・フィディルティA3.2というアンプが曲者で、トーンコントロールもヘッドホン端子も無い上に、すぐに高熱を発する無愛想な佇まいで、決して高解像度ではないのだが、とにかく音の色艶・バランス・パワーが絶妙で、どんなジャンルの音楽も「アナログ」的な暖かい息遣いに変えてしまう武骨なブリティッシュ野郎なんです。私が一番愛する女性ヴォーカルの生々しさは特筆だ。
しかしその再現は、予算の問題で大阪宅では不可能。(A3.2は発売終了だし)
コストパフォーマンスが高いと評判の機器を何とか買い集めました。
CDプレイヤー
ヤマハ CD-S700 (四萬円也)
SACDも使えない基本性能重視の質素なプレイヤーだが、
安かったので即買い。
音の入口であるプレイヤーには、無理に音に色付けをしたくないので、ヤマハはピッタリなのです。
スピーカー
QUAD 11L2 (伍萬円也)
実際の音も聴かずに評判だけで、中古品をオークションで購入。
このいい加減な処が私なのだが・・・
バリバリの英国商品ですが、Made in China でした。
・・・と上記2つを大阪転勤内示直後に東京で購入。最後のアンプを大阪赴任後に梅田ヨドバシカメラで、試聴して決定という暴挙に出る 当然、お気に入りのCD持参で
ジョー・ヘンリー ソフィー・ミルマン エミルー・ハリス
ブリティッシュ・サウンド好きとしては、当初はアンプもスピーカーに併せて英国製のCREEKかAURAにする予定だった。梅田ヨドバシで実際にQUADのスピーカーに繋いで聴き比べをしたのだが、どうしても東京宅でのサウンドよりも薄っぺらく感じられる。店員さんに国産のオススメをお願いして聴いたアンプに・・・
エミルー・ハリスのハスキーヴォイスの後で、今まで聴こえなかったダニエル・ラノワの低い声がしっかり浮かび上がるではないか。
プリメインアンプ
マランツ PM-15S2 (壱拾弐萬円也)ちと予算オーバー
今までクラシック専用メーカーと思い込んでいたが、低音もパワーもしっかり押し出しが効いている。
何よりも、解像度と音像感が凄い ミュージカル・フィディルティとは全く個性が異なるが、聞き慣れたCDに新しい発見を見いださせるこの実力は、ホンモノだ。
まだまだ侮るなかれ、国産メーカー
しかし、自宅でこの3機種を繋いだ所、どうもヨドバシ試聴ルームの再現にならないのだ
よ〜く聴いてみると、スピーカーの片チャンネルの高音の出方が弱い....げっ、ツィーターから音が出ていない
オークション購入の恐さを実感。既に返品期間は過ぎているし、元々は高性能スピーカーのはずである。
QUADの代理店は東京にしかないので、日本橋(東京で云う秋葉原)のオーディオ専門修理店を何とか探し出し、自転車に積んで持ち込んだ。 いかにもプロの職人風の店主が、テスターで通電を確認して「これならすぐ直せるよぉ」
七阡円の修理費をかけて生き返ったQUADは、私のリビングに極上の音空間を提供してくれた。
東京宅のCDプレイヤー1台分より安い出費で、このシステムが組めたのは幸せの一語に尽きる。
但し、東京のシステムのように、すべての音楽を熱く聴かせるタイプではなく、楽曲の質を選ぶ傾向がある。
解像度が良過ぎるので、粗製濫造の薄っぺらい打込み中心のJ-POPなどは聴くに耐えない時もある。
しかし、練り込まれたサウンドの再現は素晴しく、エレキギター一つとっても、そのギター個々の持つ音の違いを聴かせてくれる。これがヴォーカルとなれば更にリアル。小さな息使いまで伝わってくるから堪りません
「密林ポチッ」が更に増えそうな予感の今日この頃です。
なけなしの赴任手当の大半をオーディオに注ぎ込んだのは、女房には既にバレているので、いくら単身生活が経営破綻しようが、本宅からの資本投入を期待するのは無理な状況
ええぃ〜飯を抜いても、素敵な音楽だぜ