「ローマでアモーレ」 [上映中飲食禁止じゃ!]
監督・脚本:ウディ・アレン
撮影:ダリウス・コンジ
キャスト
ウディ・アレン ロベルト・ベニーニ アレック・ボールドウィン
ペネロペ・クルス ジュディ・デイヴィス ジェシー・アイゼンバーグ
グレタ・ガーウィグ エレン・ペイジ アレッサンドラ・マストロナルディ
アリソン・ピル ファビオ・アルミリアート アントニオ・アルパネーゼ
娘がイタリア人と婚約した音楽プロデューサーのジェリー(ウディ・アレン)は、ローマを訪れる。婚約者の家に招待されたジェリーは、浴室で歌う婚約者の父がオペラ歌手のような美声であることに驚く。一方、恋人と同居中の建築学生ジャック(ジェシー・アイゼンバーグ)の家に、恋人の親友モニカ(エレン・ペイジ)が身を寄せてくる。かわいらしい外見とは裏腹に恋愛に対しては積極的な彼女を、ジャックは少しずつ気になり始めていて……(シネマ・トゥデイより)
東京での帰省中、久々に奥様と渋谷で映画鑑賞
こういう場合の作品選択は彼女に委ねる。
SF、ホラー、アクション系が苦手な妻を、亭主のパラノイア的嗜好の作品に無理矢理に付き合わせたら、不測の事態に陥るのは明白なのである。
そんな訳で、今回は健全かつ軽いノリのラブ・コメディを愉しんできました
ウディ・アレン監督の熱心な信者でもないので、彼の作品のすべては鑑賞しておらず、多くは語れないのだが...
彼の描く世界は世相への大いなる皮肉を含んだ粋な喜劇であり、彼が傑出したコメディ作家でありコメディアンである事に世間の誰もが反論はしないのだが、なかなか大ヒットに恵まれない。しかし、彼の作品には世界中の名俳優がこぞって出演を希望するという不思議な境遇の芸術家だ。
人間の剥き出しの本性までもサラリとアイロニーな笑いに封じ込める魔法に、多くの観客はそのまま気付かずに他愛も無く笑って済ます。私もそんな一人に近いかもしれない。要するに天才の描いた真意に、凡人はなかなか辿り着けない。ゆえに小生は、彼の作品は実は苦手な部類なのだが、そんなモンは糞喰らえで、楽しく観られれば良しと割り切って、毎回彼と対峙するのである。
今作の撮影担当は、「ミッドナイトナイト・イン・パリ」と同様のダリウス・コンジ。
ウディ作としては珍しい前作の好評価は、このカメラ廻しが大きく貢献していたと思う。
パリの夜道を幽玄に映し出したカメラは今作も健在で、ローマの街角と香しき女優陣を魅力たっぷりに披露させた。
「トレビの泉」とアリソン・ピル
「ボルゲーゼ公園」とパティ・ペイジ
う〜ん何処の美術館か解らんが、ペネロペ・クルス
トラステヴェレとグレタ・ガーウィグ
ローマ・テルミニ駅とアレッサンドラ・マストロナルディ
と、まぁ、ローマ観光案内よろしく、名所と名モデルとの秀逸なカットが目白押し
そしてウディ作品の特色は、彼自身が俳優として出演すると悪ノリ度が増幅され、コメディがパロディと化す演出
ご当地イタリアの名優&コメディアンのロベルト・ベニーニも全開
極めつけは本物のオペラ歌手ファビオ・アルミリアートにこんな格好で歌わせる
物語は、4つのストーリーが交差する事もなく面白可笑しく展開する毎度の取り留めの無いウディ節
私達夫婦は美しき映像と軽い笑いの渦に包まれていくのでした...めでたし、めでたし
しかし、冷静に振り返ると男女の恋の脆さ、危うさ、不思議さをたっぷりと描いた恐ろしい作品でもあるのですね。
隣にいる女房が、一生自分の女である保証など何もないのだ...と一瞬、背筋が冷たくなりながら、真っ昼間からビール片手にご機嫌の五十路女を眺めるメタボ親爺でございました
『蜂、アゲイン!』杏子、10年ぶりシングル発表 [〜ロックの神さん〜]
うだる暑さをぶっ飛ばす
杏子のシャウトイマサのカッティング
1992年解散、いまだ国内最高峰のロックバンドと崇める「BARBEE BOYS」の紅一点ヴォーカリストと変態ギタリストの共演。偶然見つけて、即、DL購入なのです。
当然の如く駆けつけた2009、2010年の期間限定再結成ライブに涙・涙の小生でしたが、こんな風に新音源が発表されるとは・・・感極まります
やっぱり、蜂フリークなら元メンバーの現況もしっかり追わねばならないと実感。
小生と同年代のメンバーの内、この両名とベースのエンリケは、バリバリの現役のロッカーだ
声量と高域が薄れてしまったコンタと比べ、杏子のヴォーカルは更に磨きがかかり、五十路女の妖艶さ3倍満
私が神と崇める「いまみちともたか」...一聴しただけで彼と判る独特のパラノイア的カッティングとリフはいまだ健在
往年のバービーを彷彿させる
ちょいとひねったストレートなロックンロール
『あなたにアディクション』
やっぱり杏子のシャウトにはイマサのギターが似合う
◎オマケ
「グループ魂」の『片付けられない7Days』
(音源だけですが...)
ゲストヴォーカル:杏子
ヴォーカル:阿部サダオ
ギター:宮藤官九郎
驚異のコミック・パンク・バンド
見事な「バービーボーイズ・トリビュートソング」
『シガー・ロス』の新譜が凄い! [〜ロックの神さん〜]
Sigur Ross(シガー・ロス) のNew Album「Kveikur(クウェイカー)」をゲット
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: ホステス
- 発売日: 2013/06/12
- メディア: CD
スリーピースに立ち返っての7枚目のオリジナルアルバム。
一体なんだ、この原因不明の不安感は...
冒頭曲からやたらと心臓の鼓動が早くなるこの感じ〜「絶望と歓喜」が織り混ざったサウンドに戸惑うばかり
かつてない音圧の重厚感に押し潰されそうになる。
そして、世紀末の荒れ狂う大地の如く強烈なビートとは全く対極のヨンシーの透明なヴォーカルは、滅び行く地球を天上から眺める天使が口ずさむ鎮魂歌のようだ。
シガー・ロスを初めて知ったのは、私の溺愛映画「バニラ・スカイ(2001年)」での挿入曲だ。
エモーショナルな旋律と未知の言語で切々と綴られる詩に、母胎に戻ったような不思議な哀愁を憶え、虜となった。
涙、涙のラストシーン
彼らがアイスランドを代表するポストロックバンドであり、楽曲の随所に現れる地表を揺るがす様な厳かな轟音が、リーダー・ヨンシーのバイオリン(ボウ)奏法によるギター音と知ったのはその直後。
そして、当時の彼らのアルバムを買い漁り臨んだ2006年の来日コンサートで、過去のロックライブでは経験した事の無い異次元の音空間に陶酔したのであった。
特にこの題名が読めない3rdアルバムは私の大のお気に入りであり、彼らの名をを世界的知名度に引き上げた傑作でもある。ミニマル・ミュージックに通じる単調な反復リズムの中で、たおやかな旋律が徐々に熱を帯びていく様は劇的であった。
その後、民族音楽的なリズムを取り入れたり英語での歌詞を導入して、ポップ化したかと思えば、意味深な映像と音とのマッチングに挑戦したり、常に実験と試行錯誤を繰り返しながら前進し続けた彼らのひとつの到達点が、この新作である様な気がする。
このバンドの骨格がヨンシーのヴォーカルとギターで或る事に異論はないのだが、現在に至る進化の象徴はオーリー・ディラソンのドラミングである。中期までのBGMで多用される様なメロウな楽曲で、静寂の中で零れ落ちる水滴のような心に響くドラミングを披露していた彼だが、4枚目の「Takk...」辺りから「叩き」始め、今作では大地を揺るがす鬼神の如くの変貌ぶりなのである。
そして、過去作のインストルメンタル偏重は消え失せ、神の領域まで昇華されたような幽玄さを帯びたヨンシーの歌声が全面に押し出されている。軽く一聴しただけならヴォーカル・アルバムだ。しかし、アイスランド語や彼の操る造語を全く解せない我々には、コーラスそのものが楽器の一部と錯覚してしまう緻密さとパワーを持っているのだ。
既に「プログレッシブ・ロック」は死語になったが、シガー・ロスの音楽は単なる「オルタナティブ・ロック」の範疇を軽く凌駕してしまった
映像からも垣間見える「破壊と創造」「生と死」「混沌から調和」〜 宇宙創造から人類の起源まで彷彿させるような壮大な音楽を叩き付けられ、ただただ私は歓喜の声をあげ、茫然自失するだけなのである。
彼らの魅せる次なる世界が待ち遠しいと共に空恐ろしい。
アルバム冒頭曲「Brennisteinn」
「25年目の弦楽四重奏」 [上映中飲食禁止じゃ!]
監督/脚本:ヤーロン・ジルバーマン
撮影:フレデリック・エルマン
美術:ジョン・キャサーダ
音楽:アンジェロ・バタラメンティ
キャスト:
フィリップ・シーモア・ホフマン
マーク・イヴァニール
キャサリン・キーナー
クリストファー・ウォーケン
イモージェン・プーツ
リラズ・チャリ
ダニエル(マーク・イヴァニール)、ロバート(フィリップ・シーモア・ホフマン)、ジュリエット(キャサリン・キーナー)、ピーター(クリストファー・ウォーケン)から成る弦楽四重奏団は、結成25周年を迎えようとしていた。そんな折、チェリストのピーターがパーキンソン病を宣告され、引退を申し出たことで残されたメンバーは動揺する。それを機にライバル意識や家庭の不和など、それまでセーブされてきた感情や葛藤が噴出し……(シネマトゥデイより)
べートーヴェン弦楽四重奏曲作品131(第14番)・・・伝統的な楽曲の多くは4楽章から構成され、パートの切れ目で若干の間が空けられる。しかし、7楽章から成るこの131を、ベートーヴェンは「途切れることなく演奏すべし(アタッカと呼ぶ)」と書き遺した。しかし、それを忠実に実行するならば、演奏後半には、各楽器のピッチ(音程)が微妙にズレ、ハーモニーを維持するのが困難となる演奏者泣かせの難曲となるのである...
熟練の四重奏団『フーガ』の演奏者達が、結成25年に迎える試練。彼らの確固たる連帯と信頼関係が、徐々に軋み始め、もがきながら調和を模索する姿を、作品131の歪んでいく音色に重ね合わせて描いた人間ドラマの秀作である。
4名の俳優の磨き抜かれた演技は、まさに至極のカルテットが奏でるハーモニーそのものだ。
『ディア・ハンター(1978)』〜あのロシアン・ルーレットの壮絶な演技から35年。病魔に蝕まれながらも楽団の存続に命を尽くすメンバー最年長のチェリスト役クリストファー・ウォーケン(ピーター)が、深い想いを秘めた枯れた演技で後輩俳優達を支える。楽曲の低音部を担うチェロにそのままなぞられる。
オスカー俳優フィリップ・シーモア・ホフマン(ロバート)〜第2バイオリン。永年に亘り引き立て役に終始した彼が、初めて訪れた己の宿願に我を忘れて突き進み、そして現実を叩き付けられ右往左往する醜態を人間味たっぷりに演じる。音楽理論より感性を優先する彼の奏法に通じる。
ロバートの妻でもあるビオラ奏者にキャサリン・キーナー(ジュリエット)。楽団のバランスを客観的に一番知り尽くす彼女は、亭主と元恋人と恩師の間で揺れ動く。母親であり妻であり音楽家という難しい役どころを、2つのバイオリンとチェロの狭間で揺れるビオラの如く様々な音色で奏でた。
天賦の才の上に自己研鑽に余念が無い第1バイオリンはマーク・イヴァニール(ダニエル)。生来、音楽に人生に捧げてきたエリートの落とし穴。音楽理論の通りには立ち行かない初めての恋に、完璧主義の天才音楽家は少年のように或る時は胸を弾ませ、或る時は落胆する。綻ぶソリストの旋律は、滑稽さをも滲ませながら、迷奏するのだ。
この四者四様のいぶし銀のハーモニーに彩りを添え、更に混乱をきたす原因となるのが、私好みの美女二人なのだ
妖艶なるフラメンコダンサー役
Liraz Charhi〜テルアビブ在住のSingerのようです〜
F・シーモアもイチコロの黒髪の誘惑
ベッドシーンでの彼女のヒップは素晴らしいのだが、これだけでR15+とは、この名作の主題を映倫は何も判っちゃいない・・・と、ひとり憤るつむじ風です
そして...そして...ブロンドキタァ〜
ロバート夫妻の娘役
イモージェン・プーツ(Imogen Poots)・・・ロンドン在住のモデル兼女優の24歳。
ダニー・ボイル監督のゾンビ映画の名作「28日後...(2002年)」の続編「28週後...(2007年)」に若かりし頃に出演しており、『ピイピっ』と食指が動いていたのだが、素敵な女性になっておりましたぁ
そこはかとない色気が良い
大き過ぎないバストがgood
目力が良い
屈託の無い笑顔が良い
演技力もモデル上がりには見えないしっかりしたものだ。
両親の親友でもあるダニエルとの歳の差を超えた禁断の恋。
両親からの愛情に飢えていた美少女が、堅物の中年バイオリニストに反発しながらも徐々に心を寄せ、後先考えずに恋愛に突き進む健気な姿が、とにかく美しかった
てぇことは、こんな小生にもうら若いお嬢様に言い寄られる幸運があるやも...と思わせる演技でございました
・・・だいぶ本筋から外れたが、このタイプの文芸作品、特にクラシック音楽を主題とした作品は欧州映画によく見られる。厳粛な音楽と共に絵画的要素も手伝った、非常に深みのある映像などは、ヨーロッパ伝統のものだ。逆にそれは、芸術的要素が強過ぎて、個人的には「映画の面白み」に欠ける作品も少なくない。
本作はニューヨークを舞台にしたアメリカ映画なのである。
ベートーベンの厳格な音楽への本質に迫りながら、現代の音楽家の人間としての苦悩を、ある意味解りやすく描いている。しかしそれは決して陳腐なものではなく、古典主義な欧州の絵画的雰囲気と、アメリカナイズされた通俗的要素が極めて良好なバランスで成り立った希有な作品となっている。
そして、アメリカを代表する名優達の火花散る演技が、それを更に高い領域に押し上げている。
ラストシーン〜ピーターの抜けた「フーガ」の演奏会で、3人は自然と楽譜を閉じる。いままで頑に楽譜に忠実に演奏してきた彼らが、初めて『暗譜』で感情の赴くままにベートーベンを奏でようとした処で、幕が閉じる...
いやぁ、たまりません・・・大好きな映画が、また増えた
Complete String Quartets Grosse Fuge
- アーティスト: Ludwig van Beethoven
- 出版社/メーカー: EMI Classics
- 発売日: 1999/10/15
- メディア: CD
アルバンベルグ四重奏団によるベートーベン弦楽四重奏曲全集(7枚組)
所有はしていたが、なかなか聴き込むというレベルまでは到らなかったCDだ。
この映画で取り上げられた作品131も当然、収められている。
何故、ベートーベンは調弦が狂うのを知っていながら「アタッカ」で、この曲を演奏せよ、と言い残したか?
完全に聴覚を失った最晩年での作品で、「細かい乱れには目もくれず、ただ感性の赴くままに突き進め!人生のように」と云っているのか? クラシック音楽素人の小生には、いささかハードルが高い問題だ。
ちょっと、じっくりと聴いてみようか
◎お決まりのおまけ映像をちょっとだけ
嗚呼、イモージェン
(映像プロデュースはソフィア・コッポラ、音楽はRoxy Music)
「アンコール!!」 [上映中飲食禁止じゃ!]
監督・脚本:ポール・アンドリュー・ウィリアムズ
撮影:カルロス・カタラン
音楽:ローラ・ロッシ
主題歌:セリーヌ・ディオン
キャスト
テレンス・スタンプ バネッサ・レッドグレーブ
ジェマ・アータートン クリストファー・エクルストン
無口で気難しい頑固者のアーサーは最愛の妻マリオンにだけは笑顔を見せる。マリオンはロックやポップスに挑戦する合唱団“年金ズ“に所属していて国際コンクールのオーディションに出場する予定だったが、ガンが再発。アーサーは妻の代わりに練習に行くことに...(ぴあ映画生活より)
最近、この傾向の映画に弱いです
堅物の夫と快活な妻・・・老夫婦の穏やかな愛情溢れる物語。
社交的な妻・マリオンは持ち前の明るい性格で誰からも慕われる。
一方の夫・アーサーは、他人と交わる事を嫌う全く面白みに欠ける朴念仁。
病弱なマリオンではあるが、今や老人合唱団のマドンナ的存在となり、精力的に老後生活を謳歌している。
そんな妻の合唱練習に無愛想に送迎を繰り返すアーサー。彼の生活の中心は「妻の介護」であり、残りの時間は無為な博打に費やす。
この対称的な老夫婦の描き方が実に秀逸。無邪気に老後生活を愉しむ妻を、苦虫を噛み潰したような表情で常にサポートする夫。
「こんなくだらないお遊びに無駄な体力を使わんで、のんびり長生きしてくれよ」
「こんな私にかかりっきりにならないで、あなたも自分の人生を楽しんでよ!」
実際の会話にはならないが、お互いを慈しむ愛情がテレンス・スタンプとバネッサ・レッドグレーブの名演により柔らかく浮かび上がってくる。
若い頃、勝手気侭に家族を省みずに暮らしていた夫が、老境に差し掛かった或る日に妻が倒れる。今まで、当たり前のように常に快活に家族を守っていた女房の、かつて見た事の無い弱々しい姿。その日を境に、亭主の生き甲斐は「妻の笑顔」に変わるのだ。
我が夫婦も辿るかもしれない道筋が、目前のスクリーンが展開され、何とも身につまされる想いに陥った。
物語は、妻の癌の再発によるアーサーの微妙な心理の変化を描く展開となる。そして竟に、妻との永遠の離れ。
生き甲斐を喪失したアーサーは、人生の最終コーナーで「自分探し」の旅への一歩を果たして踏み出せるか?
この不器用で鼻つまみ者のジジイの背中をそっと押す合唱団の先生役にジェマ・アータートン。
清潔感溢れる色気がGood
「007 慰めの報酬(2008)」でのボンドガールが記憶に新しい
後半からラストシーンまでは、お決まりのお涙頂戴パターンなのだが、「判っちゃいても素晴しい」テレンスの演技。堅物ジジィが、人生に思い悩む青年のように揺れ動きながら人生の再出発に踏み出す様を、「男は何歳になっても幼稚な子供」の姿を、喜怒哀楽を胸の内に仕舞い込み、味わい深く魅せてくれた。
断絶していた息子との和解、知らなかった自分自身との出会い・・・それを獲得するのに必要だったものは、ほんの少しの勇気、それが亡き妻が残してくれた最期で最高のプレゼントだったのだ
家庭を省みなかった旦那衆には、というか小生には耳が痛い作品なのだが、根底に流れる夫婦愛が絶対的であり、洒脱な演出も心地良い佳作である。
女房よりかは先に逝きたいと願うワガママで意気地なし亭主の小生なのだが、ちょっと私も勇気をもらった作品でした。挿入音楽も素敵です
七夕にちなんで・・・ [ざれごと写真日記]
自宅からチャリンコ・ダッシュ15分
名古屋市北区にある「多奈波太神社」という処へぶらりと散策。
「たなばたじんじゃ」と読みます。
由来を拝見すると
日本の「七夕祭り」の起源は曖昧であり、この神社が創建当初から七夕繋がりなのか、社の名前からの後付けなのかは定かでない。しかし、どちらにしても何となく古代の「浪漫」を感じてしまう。
人っ子一人居ない境内に「茅輪くぐり」の準備もされていました。
夜の神事まで3時間・・・さすがに待ちきれず、退散となりましたが...少々残念
本殿脇に不思議なイチョウの木が
本日はこれだけぇ〜
最後に、七夕繋がりで「織姫星」=「ヴェガ」=スザンヌ・ヴェガお姐様から1曲(初期の名作)
年に一度ではなく、月一度位お会い出来る私の東京の織姫様からの連絡が、最近メチャ少なくなっているような...
SFホラーの女帝『ラダ・ミッチェル』 [キューティー・ブロンド病棟]
久々のブロンド女優に愛を捧げるコーナーです
某CSのお試し期間中に、何気に観た映画がエラく気に入ってしまったのだ
B級SF映画である事は否めない・・・が、個人的には『傑作』です
不気味な緊迫感と人間の深き業をチープかつダークな映像で描いた低予算作品に、何故か強く心惹かれたのであった。SFの記念碑的作品「エイリアン」のいいとこ取りなのは一目瞭然であるが、その名作を凌ぐ観賞後に押し寄せた感情の高まりと哀切。その理由は、後に「ワイルド・スピード」でブレイクしたヴィン・ディーゼルの魅力もさることながら、ヒロインを演じたひとりのブロンド女優の存在が大きい。
無数の人喰いエイリアンに覆われた未知の惑星からの脱出を試みる地球人達。死地を脱したヒロインに、「もう仲間は見離して、この船でおさらばしょうぜ!」と、手を差し伸べるリディック。彼女は激しい葛藤の末、取り残された仲間を救うべく、エイリアンの巣窟に戻ろうと彼を説得するのだが。
仲間の救出に再び危地に舞い戻るふたり。
そして、ラストの一刹那の出来事に私は呆然とし、こみ上げるものがエンドクレジットまで留まることはなかった
この一作で、彼女の名前は小生の「愛しのブロンド・リスト」に刻まれたのである。
そのヒロイン演じた女優は...
ラダ・ミッチェル(Radah Mitchell)・・・オーストラリア・メルボルン出身、現在39歳。既に多くの作品に出演し、しかもデビュー直後から出ればほぼ主役級の扱いが大半の女優なのだが、何故か映画賞には縁遠く、大ブレイクには到らない。普通の映画好きな方なら「あぁ〜何処かで観た事ある、ある、名前は知らないけど」と、特に国内では、そんなタイプの残念な女優さんです。
豪州のブロンド女優と云えば、今やハリウッドの稼ぎ頭「ニコール・キッドマン」が思い浮かぶのだが、小生からすれば、二人の実力など紙一重で、むしろラダ・ミッチェルに「オンナの色香」を感じてしまうのです。
皺もシミも目立つ、実年齢以上に老け顔に見えるし、少々エラも張っております。
決してクール・ビューティではなく、コケティッシュな愛らしさもあまり感じられない。
しかし、彼女は、傍目の美形女優では持ち得ない、たおやかかつ逞しい、剥き出しの「オンナと母性」を演じられる希少な女優なのだ。この中途半端にイヤらしい胸元に、オッサンはSEXY以上に「神々しさ」を感じてしまうのだ。鼻筋の右側に見える薄いホクロは意志の強さの証明か、単なるスケベボクロか
そんな彼女の個性は、多様なタイプの作品で活かされていく。
私が今まで鑑賞した彼女の出演作から、まずは一般的な作品を...
ネバーランド(2004年)
云わずとしれたヒューマンドラマの佳作。
- ジョニー・ディップ演じる劇作家の妻役。
- 美味しい処は、夫の浮気相手のケイト・ウィンスレットに持っていかれたが
- 19世紀、上流階級のプライド高き貴婦人を「美しく冷ややかに」演じた。
- 彼女の出演作にしては珍しく「美しさ」が際立っております。
メリンダとメリンダ(2004年)
- ウディ・アレン監督の良くも悪くも独りよがりのハートフル・ドラマ。
- 悲劇と喜劇を並行して描き、そのオムニバス仕立ての2つのストーリーのヒロイン・メリンダ役を演じる。
- シリアスからコメディタッチまで幅広い演技力を遺憾なく発揮した作品だ。
- 内容自体は、ウディらしい陳腐かつ軽妙な出来であるが、ラダの魅力を最大限堪能できる。
- ついでに共演のクロエ・セヴィニー(これまたブロンド)にもうっとり
- ウディ・アレン作は当たり外れが激しいが、女優の起用法だけは常に最高レベル
この笑顔がたまらない
- アンニュイなブロンド〜クロエ嬢の誘惑にも...
モーツァルトとクジラ(2005年)
- 国内劇場未公開作品。
- 洒落たコメディ・ラブ・ロマンス。ノルウェー出身ペッター・ネス監督の独自の視点が楽しい
- 自閉症を抱えた男女の恋の行き先を、軽いタッチながらも「マイナリティの現実」を切々と訴えた内容だ。
- 一見ぶっ飛んだ風変わりな美容師が併せ持つ繊細な感性を、ラダは見事に表現した。
ラブ・アペタイザー(2007年) 原題「Feast of Love」
- これまた国内劇場未公開 ラブロマンスを超越した「静かなる愛の物語」
- 三世代のカップルのそれぞれの愛の形を、切なく時に残酷に、されどとてつもなく暖かい視線をもって描いた秀作。ラダは、不倫相手に想いを残したまま別の男性と結婚する女性の姿を、大胆かつ繊細な演技で魅了してくれる。彼女のフルヌード、濡れ場を観れる貴重な作品でもある。想像通りの「ナイスボディ」というより「オンナ」を感じさせる美しい裸体に小生は感涙
- モーガン・フリーマンの抑えた演技、グレッグ・キニアの人間臭さ、アレクサ・ダヴァロスの生命力の満ち溢れた美しさ。最高のキャスティングと緻密な演出により導き出された「愛のかたち」は「人間賛歌」に昇華し、観る者に「生きる喜び」を与えてくれる絶品だ。挿入音楽も抜群なセンスこんな秀作を国内上映できない日本の映画界はどうなってんねん...
- という個人的にハマった作品でもあります。
体を張っての妖艶度急上昇の演技
若さ漲るアレクサにもちょっと浮気
ラダのファンでなくても観ていただきたい作品
モーガン老夫婦の佇まいと彼の語り口も絶品
ヘンリー・プールはここにいる ~壁の神様~(2008年)
- 泣きたい〜これも国内劇場未公開
- 低予算ファンタジー・コメディの体裁だが、これも「感動作」です
- カリフォルニアの住宅街で起きた小さな「奇跡」を描いた内容だが、キャスティング・演出が絶妙。人生に絶望した青年の邸宅の隣に住むバツイチ美女をラダが演じる。
- 主人公役ルーク・ウィルソン、お節介オバサン役アドリアナ・バラッザも好演、子役のモーガン・リリー(これまたブロンド)の可愛いこと
- そして、やはり、ラダの存在感がこの作品に憂いを帯びさせるのである
一連の彼女の出演作を見渡しても、低予算作品にあえて出演していると思われる節が感じられるほど、日本国内で話題に上がった映画は多くない。そして本邦未公開作に隠れた傑作が眠っている哀しき現実
そう、彼女の素晴らしさは、出演作を選ばない役者魂とどんな役柄もこなす柔軟かつ高い演技力なのである。
特に、冒頭の「ピッチブラック」に代表されるSFモノに彼女の個性は本領発揮されるのである。
未知なるものに怯えおののく表情は、切迫感に満ち溢れ、その恐怖に打ち勝つ強靭な精神力を発揮する場面には戦慄が走る。女性のか弱さと逞しさ双方を鮮やかに演じきれるのが彼女の最大の魅力なのだ。
では、SF系作品を...
フォーン・ブース(2003)
コリン・ファレル主演のサスペンス映画の隠れた傑作。
謎の人物から脅迫され、電話ボックスに釘付けにされる主人公の妻役を演じる。
出演時間は短く、彼女の魅力全開という感じではないが、亭主への疑惑と信頼の間で
揺れ動く微妙な心理状態を演じた。
作品自体の構成が素晴しく、緊張感をとぎらせない演出とコリン・ファレルの壮絶な
演技が、異質サスペンスの名作を産んだ。
ゴーストアビス(2003)
- またまた国内劇場未公開作品。原題「Vistor」
- 世界一周単独航海に挑戦する女性ヨットマンの物語。主役である。
- 絵に描いたようなB級低予算SF作。評価は惨憺たるものだ。
- 孤独な航海により徐々に精神が崩壊する様を、ラダは八面六臂の大活躍で演じる。
- 世間の評価は別にして、個人的には彼女の水着姿を拝めるだけで満足度の高〜い作品
う〜ん、この胸元が何ともよろしい
サイレントヒル(2006)
極めつけこれは結構売れたようです。
日本の有名ゲームを下敷きにした、カナダ・フランス共作のホラー・ムービー。
ラダ主演にしては珍しく、製作費が結構嵩んだ作品だ。
原作ゲームは全く知らないのだが、モンスター群はVFXを駆使し原作を忠実に再現しているようでなかなかのリアリティの高さです。
恐いです...気持ち悪いです...そして少々物悲しいです...
ラダ・ミッチェルの本領発揮です
ひぃぃ〜恐いよぉ〜
マンイーター(2007) 日本公開はなぜか2012年
- 掘り出し物のB級SFアクションの快作だ 初代「ジョーズ」並の面白さ
- どこにでもありがちな「人食いワニ」によるサバイバル・ムービーなのだが、結構楽しめます。サム・ワーシントン(アバター)、ミア・ワシスコシカ(アリス・イン・ワンダーランド)など、後年、ブレイクした俳優陣を引き連れ、ラダは故郷オーストラリアの世界遺産・カカドゥ国立公園の観光ガイドとして主役を張る。
- とにかく「ワニ君」の喰いっぷりの良さは、恐怖心を超越して感動的であります
- 低予算でもここまでリアリティが出せるお手本のような佳作です。
サロゲート(2009)
- ブルース・ウィルス主演のSFアクション。
- 近未来〜人類は「サロゲート」と呼ばれる身代わりロボットを所有し、本人は自宅に籠り遠隔操作で日常生活すべてをロボットに代行させる時代が到来〜というユニークな設定。
- ラダはブルースとコンビを組むFBI捜査官役だが、このロボット刑事役をオリジナルより若干「機械的」に演じる様が何とも興味深く、そして巧い。
- 荒唐無稽なストーリーだが、二人の熱演もあり、意外と見始めるとグイグイ引き込まれます。
ラダ・ロボットの逃走シーン
彼女にしては珍しいアクションの連続 笑えます
ブルースの妻役・ロザムンド・パイク(むろんブロンド)にも少々浮気
クレイジーズ(2010)
- ジョージ・A・ロメロ監督「ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖」(1973)のリメイク作。
- ゾンビ映画のおどろおどろしさと未知の感染症のパンデミックの緊迫感をミックスさせたホラー・パニック映画というべきか。
- アメリカ・オハイオの片田舎で発生した謎の伝染病に立ち向かう保安官の妻役として、ラダは熱演。死線を彷徨うか弱い女性が、血まみれの中でサバイバル本能を開花させていきます。結構、緻密に練り込まれており、非常に高い水準のホラー映画で、バカにして見ると痛い目に会います。マーク・アイシャムの音楽も素晴しい。
文芸作品からコメディ、ホラーまで幅広いジャンルで活躍する彼女だが、結果としてヒットした作品のほとんどがSF系映画が多い事から、正統派女優の分類から外されてしまった感があるのが、ラダ・ミッチェル嬢の哀しき境遇というべきか。
しかし、本人はそんな評価を一向に意に介していないようで、良い意味で見境無くジャンルを選ばず銀幕に登場し続けているようだ。
今月は「サイレントヒル」の続編『サイレントヒル:リベレーション3D』が公開予定。本来は、ホラー映画などは進んでは鑑賞しないのだが、キャストに彼女の名を見つければ、自然と足は劇場に向かっていることだろう。
そして、中途半端に魅せる胸の谷間に、オッチャンは鼓動を抑える事ができなくなっているのだろう
願わくは、何時か近い将来に、彼女が全うなヒット作に恵まれ、オスカーの栄冠を勝ち取る事を私は夢見る
今月、アメリカにてロードショー予定の新作〜またもホラー映画っぽい
(これも日本で劇場公開されるか定かでない)
長々と失礼いたしました。愛深きゆえにお許し下さい
「きっと、うまくいく」 [上映中飲食禁止じゃ!]
ボリウッド(インド)映画の大傑作
キャスト
アーミル・カーン カリーナー・カプール R・マーダヴィン
シャルマン・ジョーシー ポーマン・イーラーニー オーミ・ヴァイディヤ
行方不明だったランチョー(アーミル・カーン)が街に戻ってくると聞き、ファルハーン(マドハヴァン)とラージュー(シャルマン・ジョシ)は母校に向かう。10年前、三人は名門大学の学生だった。真っすぐなランチョーは異議があれば学長にすら物申し、好きなことに打ち込んでいた。しかし、ランチョーと学長の娘・ピア(カリーナー・カプール)が接近したことから、3人は卒業目前で退学を言い渡されてしまう。(シネマ・トゥデイより)
映画の本来の楽しさを、このインドのハチャメチャ・コメディが「これでもか!これでもか!」と叩き付けてくれるのだ
コメディ作品では異様とも思われる長尺171分間の上映時間だが、長さを全く感じさせない観客をスクリーンに釘付けにするパワーは、昨今の凝りに凝った日米欧の作品では持ち得ないものだ。まさにBRICSの一角である経済成長著しい国家の勢いそのままを映し出したようだ。
2010年に原題「3Idiots」を直訳の「3バカに乾杯!」という邦題で国内限定上映されたが、再上映の今回は「きっと、うまくいく」に改題、個人的にはこちらのほうが「しっくり」くる。
確かに「3人のおバカ」によるハチャメチャ劇なのだが、彼らがピンチに直面する度に口ずさむ『アール・イズ・ウエル』=『ALL IS WELL』が、この作品の心髄だからだ。
とにかく、この3バカが素晴しい 主役級のアーミル・カーンなどは、黙っていればジョン・キューザック似の色男だが、真面目顔で奇天烈千万。
そして、彼らの自由奔放な学生生活を常に蹂躙せんとする大学長がまたイカしている。
3バカのライバル、間抜けな優等生が笑いを加速させる
ヒロイン役〜不思議な雰囲気を醸し出すインド美人だ
見かけは喜劇であるが、現代インド社会の闇〜高度な受験戦争による若者の自殺〜にも光を当てている。
IT先端技術を国家隆盛の旗印に、インドでは一流理工系大学を卒業したエリートだけが将来を約束された人生の勝者。以前のカースト制度以上に学歴偏重による貧富の差が拡大し、現在の教育制度の欠陥が指摘されているらしい。
落ちこぼれは即、敗者であり、若者の自殺者数はうなぎ上り、点数至上主義は彼らの独創性を奪い没個性の学生が急増。そんな社会の実態に怒りの拳を挙げながらも、遊び心を持って極上のエンターテイメント作に仕上げたポリウッドの製作陣に拍手を送りたい。
英国映画「スラムドッグ$ミリオネア」が、ボリウッド界から多くの協力を得た事は知られた所であるが、このオスカー受賞作を彷彿させる歌と踊りが、今作にも随所に織り込まれ、笑いと共に華やかな彩りを添える。
青春ラブ・コメディを骨格に社会風刺を内包した本作は、インド映画人の叡智と情熱によって紡がれた色とりどりの更紗(さらさ)のような秀作だ。観る者によって、この映画のテーマの捉え方も違うであろう。私は、「友と師」との関わり方に力点を置いてしまう。独り難局に陥った時、「きっと、うまくいく」と声をかけてくれる人間が傍らにいる事が、結果「うまくいかなく」ても、それが人生の機微に触れる喜びのひとつであるのを改めて感じ入るのであった。
構成・演出・俳優・音楽・撮影すべてが高水準、しかし、それ以上に銀幕から溢れ出る「映画の力」に酔いしれる事が出来る近年稀に見るボリウッドの傑作だ