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『そして父になる』 [上映中飲食禁止じゃ!]

先行上映を妻と錦糸町の映画館で[目]
 
 そして父になる02.jpg
 
監督・脚本・編集
是枝裕和
撮影
瀧本幹也 
 
出演
福山雅治 尾野真千子 リリー・フランキー 真木ようこ
樹木希林 夏八木勳 中村ゆり 風吹ジュン 高橋和也 國村隼
 
 
申し分のない学歴や仕事、良き家庭を、自分の力で勝ち取ってきた良多(福山雅治)。順風満帆な人生を歩んできたが、ある日、6年間大切に育ててきた息子が病院内で他人の子どもと取り違えられていたことが判明する。血縁か、これまで過ごしてきた時間かという葛藤の中で、それぞれの家族が苦悩し……。(シネマトゥデイより) 
 
グレン・グールドの爪弾くバッハの旋律は、締め付けられた気持ちを和らがせられる一方で、更に深い処の問いを叩き付けられたような痛みを伴うものであった。
 
カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞し、鳴り物入りで公開された作品は、噂に違わず「家族映画」の傑作である。
古今東西、この手の作品は、子役のピュアな演技に力点が置かれ、必要以上に涙を誘われる傾向のものが多い。
しかし、今作は、圧倒的に「おとなの視点」からの答えの出ない「普遍的な親子像」を問う問題作である。
 
主要人物のキャスティングの時点で、この作品の成功が約束されていた。 
二組の夫婦役に選ばれた俳優陣の陰影に富んだ演技の数々は、普段、彼らが出演するTVドラマからでは見られない真に迫るものであり、更に歴戦の是枝マジックにより、それはものの見事に親の思いと共にフィルムに熱く焼き写された。(映画初挑戦の瀧本氏の絵作りは非常に個性的かつ魅力的だ[exclamation×2]
 
福山雅治真木ようこと云えば、NHK大河ドラマ「龍馬伝」での夫婦役が記憶に新しいが、敢えてふたりに別の夫婦役を務めさせる洒落た配役。
エリート会社員の妻役に真木ようこは、確かに似合わない、やはり電気屋の女房だ。泥の中でキラリと凛とした美しさを醸し出せる女優は、今の彼女の右に出る者は居ないだろう。
そのエリート福山君の妻の座に着いたのが尾野真千子。芸達者な彼女が久しぶりに魅せる深い内面描写に、否応無く心打たれる。
電気屋のパパにリリー・フランキー。唯一、本業が俳優ではない彼の、彼でしか出来ない野生児的な演技が、他のプロ達の好演との対比で異彩を放つ魅力となっている。
そして、主演の福山雅治。坂本龍馬でもなく湯川学(ガリレオ)でもなく、等身大の一児の持つ父親役に成り切る。仕事第一のエリート・サラリーマンが初めて直面する家族の大問題。自分が信じ込んでいた父親像が崩壊し、自己の幼児体験から封印していた父性に目覚め、狼狽えながらも前に進む姿を真摯に演じた。
 
現場の雰囲気によって脚本を変えたり、アドリブを多用する是枝監督の面目躍如たるシーンが続出し、目が離せない。まさに感性のぶつかり合いと云うべきか。 彼ら俳優陣から「演技以上」の「心情」が溢れ出ている気がするのは私だけであろうか? 
 
 「ふたりで何処かに行っちゃおうか」・・・[もうやだ~(悲しい顔)]
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何も言わずに実の子を抱きしめる真木ようこ・・・[もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)] 
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(写真無いけど)眠っている我が子の頭を撫でながら尾野真千子が「こうやっていると、あなたにそっくりなのよね」その姿を見つめて福山雅治が「俺も家出したんだ。母親を探しに...」このシーンなどは鳥肌モノ[もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)]
 
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ストーリーは、赤ちゃん取違え事件に端を発した二家族の葛藤を描き、特に福山演じる仕事人間の父親としての成長と父性の復活に光を当てたものだ。
ラストシーンは、一見、非常に暖かいハッピーエンドのかたちを取っている。しかし、父・福山の最後の選択が正解であるとは、この映画は結論づけていない。逆に、これから訪れるであろう苦難の道さえ暗示しているように見える。「生みの親より育ての親」とは、使い古された言葉であるが、血の成せる技がどれほど重いかも、この作品は訴えているのである。是枝作品に一貫して感じられる「不確実さ」と「二面性」を見出しながらも、小津安二郎に次ぐ「日本の家族映画」の傑作の誕生を喜ばざるを得ない。
 
家に帰って女房様がおっしゃる。
「母親なら、育てていれば絶対に自分の子供かどうか解るよぉ〜。うちの子だって、アンタの変な所が少しづつ出て来たからねぇ〜」・・・うん、うん、母は強し、アナタは偉い[あせあせ(飛び散る汗)] 
 
最後に脇役として活躍した「中村ゆり」の美貌と、故「夏八木勲」の勇姿に拍手を...[ぴかぴか(新しい)] 
 
 
 
 
◎オマケ
今作の挿入音楽は、すべてソロピアノ演奏のみで構成されている。俳優陣の台詞のシーンでは、基本的にBGMは使わず、人間そのものをダイレクトに描き出すのを優先している。鍵盤の旋律は、シーンごとを繋ぐ背景描写時に、登場人物達の心情心理を俯瞰するように静かに流れるのだ。
そのピアノ曲の中で、一際耳に付くのが、グレン・グールドによるバッハ『ゴールドベルク変奏曲』だ[るんるん]
 
バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年録音)

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年録音)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: SMJ(SME)(M)
  • 発売日: 2008/11/19
  • メディア: CD
 
グレン・グールド(1932~1982)・・・クラシック界では知る人ぞ知るバッハの再来と呼ばれた天才ピアニスト。1956年に発表されたバッハ『ゴールドベルク変奏曲』は、世界中で衝撃とある種の畏敬の念を持って絶賛された。古典への人智を超えた解釈、奇々怪々な演奏スタイル、後に自閉症と揶揄された異様な性癖が、カリスマ化を促し、一躍時の人となった彼ではあるが、コンサートでの生演奏を一切否定し、ほぼ仙人のような隠遁生活を送りながら時折発表するスタジオ録音が、更に伝説を深める事となる。1981年、デビュー作の『ゴールドベルク変奏曲』を再録音。新旧作の比較が音楽界の大きな話題ともなった。翌、1982年逝去、享年50歳であった。
 
中学時代からの音楽仲間である親友から、2年前の大阪転勤の餞別代わりにもらった上記CDなのだが、一聴してぶっ飛んだ[exclamation&question] 30年前にGENESISを教えられた友人の審美眼は、音楽ジャンルと時代を超えて健在で、今でもお互いの感性を刺激しあう仲なのだが、この餞別には脱帽だった。「さすが、我が友[グッド(上向き矢印)]
 
近代西洋音楽の父と呼ばれたバッハではあるが、クラシック及び音楽理論に疎い小生にとっては、ベートーベンやモーツァルト以上に取っ付きにくく古くさいバロック音楽家の象徴であった。中学時代に音楽の授業で聴かされた彼のチェンバロ曲など、面白みに欠ける退屈極まりない禁欲的な楽曲だった。
 
しかし、グレン・グールドの弾くバッハは全く違ったのだ[パンチ] 一瞬、ジャズ・ピアノかと錯覚してしまった。
豊かなピアノの音色、美しいタッチ、彼の手から放たれた音符は煌めいているのだ。クラシック音楽では御法度であろう演奏者のハミング(鼻歌)のオマケ付き。古臭くかた苦しいバッハの音楽が、まるで新しい命を吹き込まれたように躍動している。人間が造り出す普遍的な音楽の源泉が、此処にある。
 
私が、ソロ・ピアノのアルバムで最後まで聴き通す事が出来るのは、この『ゴールドベルク変奏曲』とキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』だけなのである。 
 
友に感謝しつつ、今宵もバッハの調べに身を委ねる[るんるん][るんるん][るんるん]
 
ほら、ピアノが謳っているよ[わーい(嬉しい顔)] 
 
  
 

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coco030705

こんにちは、はじめまして。先ほどは拙ブログにお越しいただきありがとうございます。
これはカンヌ映画祭審査員賞を受賞したんですね。福山雅治主演の話題の映画ですね。つむじかぜさんの解説を読むと、とても良さそうな映画に思えました。
ぜひ観てみたいと思います。
それから、バッハ『ゴールドベルク変奏曲』は私の大好きな曲です。昔レコードをもっていたんですが、グレン・グールドによる演奏かどうかわかりません。でも演奏法がかなりジャズっぽかったので、そうかもわかりません。キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』ももっています。これもすばらしいですよね。


by coco030705 (2013-09-27 08:57) 

つむじかぜ

>coco030705様
こちらこそ、nice&コメをありがとうございます。
coco様もJAZZがお好きなようですね! これからもよろしくお願いします^^
by つむじかぜ (2013-09-28 02:36) 

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