『ミッシェル・ポルナレフ』はフランス人だった! [超個人的溺愛の逸品]
フランスかぶれが抜けきれないつむじ風です
元々は仏国苦手な小生なのだが、意外にも初めてハマった洋楽はフランス産であった事を、遥か昔の少年時代を思い起こしハッとしたのでした
中学1年一学期、悪友宅での衝撃のハードロックと出会う半年前〜当然70年代前半です〜
当時の中一生達の身近な音楽といえば、やはり歌謡曲主体であり、男子生徒の多くは、山口百恵の「ひと夏の経験」の歌詞の謎解きに燃えていた訳であるが、一部のませた友人が徐々に未知の洋楽の魅力に惹かれ始めていた。
洋楽好きのジャンルを大別すると、兄・姉を持つ者はビートルズ、女性陣に人気のカーペンターズ、気取った奴らがサイモン&ガーファンクルという3系統がメジャー派であった。中学で初めて英語の授業を受け、Englishの語感に触発された連中から、いち早く歌謡曲を卒業していくのだ。
発育の遅い小生は、純和風の黒長髪アイドル好きで「南沙織」「麻丘めぐみ」に恋い焦がれる歌謡曲派だった。
そんな或る日の給食時間。
我が学び舎では、昼休みに放送部主催によるDJ番組が日替わりで校内放送されていた。(今思えば和やかな校風であった)当時は「オールナイトニッポン」が黄金期を迎えつつあり、ラジオ・パーソナリティが脚光を浴び始めた頃で、それに影響された先輩達の真似事であったのだが、いつもの校内放送の他愛のないおしゃべりの後に流れた異国の曲に、つむじ風少年は牛乳を呑む手の震えを覚えるのだった。
美しきピアノの旋律に絡まる男性のハイトーン
『ル・ルゥ〜』と裏声にひっくり返る処なんぞには、少年はかつて無い感動を覚えるのだった。
教室のボロボロのスピーカーから流れたこの1曲のみで、私はこの外国の歌手の虜になってしまった
『ミッシェル・ポルナレフ』という舌を噛みそうな外人さんの名前と、「ラブ・ミー・プリーズ・ラブ・ミー(邦題・愛の願い)」という英語覚えたて中学生でも分かりやすい題名を、私はしっかりとメモったのであった。
当時、自宅には、まだステレオ音響装置が存在せず、LPを買っても聴く術が無かった。少年の唯一の音楽再生システムは、モノラルのラジカセだけだった。それでも私は、FM雑誌の番組表から「ポルナレフ」の名前を探し出しては、いまでは死語である「エア・チェック」を繰り返し、彼の他の曲のコレクションを徐々に増やす涙ぐましい努力を重ねていた。
そして、愚かな事に、私は彼の曲を歌いたくて、歌詞を耳コピしてカタカナで書き綴っていたのです。更に、そのカタカナから推測して言葉の意味を知ろうと、英和辞典と格闘していたのだった
そう、語感の弱い小生は、彼の歌詞はすべてEnglishだと信じ込んでいたのでした
その後、或る音楽雑誌から「ミッシェル・ポルナレフ」が、フランスを代表するシンガーソングライターである事、いくら努力しても解読不明だった彼の歌詞がフランス語である事が判明した時の衝撃と恥ずかしさ
(私はその後、日本のポップスでも英語を混ぜた歌詞を聴くと虫酸が走る体質になってしまったのだが...)
徐々に「彼」の情報は増え、デビュー当時の繊細な優男風が「トンボメガネ」の変態アーチストに変体している事実を知る。「男のヌード」まで披露していた事は、当時の少年にとって困惑以外の何物でもなかった。
(後日談ではあるが、ミッシェルはひ弱な自分の体格に相当なコンプレックスを抱えていたらしく、デビュー後から熱心にボディビルに励んでいたそうだ。そして、筋肉質の体型を勝ち得て以降、それを露に晒すのに無上の喜びを感じる性格に変貌していったらしい・・・こんな話しは何処かで聞いた覚えがあった・・・そう、『三島由紀夫』と同じ道なのだ。)
英語力は幼児以下のお粗末さでも、日本文学にはマセていた小生は、当時から「三島文学」にハマっており、「三島由紀夫」を敬服していたのである。
勝手なものでこんなヌード繋がりから、私はミッシェルへの親近感は更に深まっていく。
「ラース家の舞踏会」
(やっぱり、今聴けばフランス語だ)
エアチェックのみで、ほぼ彼の代表曲を録音したカセットテープは、まだ音楽のなんたるかも解らん中学1年生が、初めて触れて好きになった洋楽への想いが詰まった私の宝物であり、それは今もタンスの奥に仕舞い込まれている。
中学2年になり、悪友の影響でロック小僧に変貌してしまった私は、知らぬうちにミッシェルから離れていく事になる。同時にミッシェルの人気も70年代後半を境に墜ち始め、80年代に入るや既に過去のスターになってしまった。
来日時の貴重映像
「シェリーに口づけ」
(南田洋子も綺麗だったなぁ)
先日のフランス旅行前に突然、「彼との思い出」が脳裏をよぎり、何枚かのCDを大人買い。
今改めて聴き直すと、当時のラジカセからは聞き取れなかった楽曲の緻密さ、洒落たアレンジメント、演奏技術の高さが浮かび上がる。(なんと、デビューアルバムにはジミー・ペイジが参加していたんですよぉ)
彼のヒット曲の邦題には「愛の〜」が多い。安易なネーミングセンスにはクスっなのだが、フランスからやってきた「愛の伝道師」風の売り方に、当時の日本のレコード会社は躍起になっていたようだ。
私のお気に入りの1曲「愛の伝説」
初めて惚れた洋楽〜彼のヒット曲をiPhoneに一杯詰め込んで、パリの石畳の上で聴いて童心に帰るはずだったフランス旅行。そのiPhoneを観光初日に盗まれた悲劇
本当に、フランスって自分にとって縁があるのか無いのか、不可解で魅力たっぷりの国だ
長女がフランス留学を決断したのは、私の少年期のフランス語への大いなる誤想が刻まれたDNAの成せる技なのかもしれない。
最後に
2007年奇跡の復活〜34年ぶりのコンサートの模様を
「愛の休日」
ミッシェル・ポルナレフと言う名前も楽曲も聴いたことがありますけれども?
こんな人が歌っていたとはっ (^^;
・・・つむじかぜ さんの強い思い入れが伝わって参ります♪
そんな大事なものが沢山詰まったiPhone いずこへ~ 「・_・ )(「・_・)キョロキョロ
茶化してごめんなさい <(_ _)>
by Labyrinth (2013-09-06 11:05)
おぉ~っ!
「Love me, Please love me」
こんな動画あったんですね~
サングラスせずに普通にピアノの弾き語りは、めちゃくちゃ貴重です~!!
当時 ポルナレフ、大好きでした~♪
by haku (2013-09-08 18:01)
>Labyrinth様
多分、パリの闇市場で分解されて売られているんでしょうねぇ〜
どうせなら、中身の私のコレクションも泥棒さんに聴いて欲しいね(^▽^;)
by つむじかぜ (2013-09-09 00:22)
>haku様
同世代の同趣味に、有難き思いです^^
私も素顔の彼の動画は、初めて見たんですよ!
今、聴き直して、斬新かつ普遍的なポップスであるのを再認識です。
by つむじかぜ (2013-09-09 00:26)