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杏里&白井貴子/初々しいデビュー [〜私の歌姫〜]

杏里のデビューアルバム「apricot jam」(1978年)
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1961年生まれ、当時弱冠17歳!(完全に私と同世代である)
シングル・カットされた「オリビアを聴きながら」が、小ヒットするも、アルバム自体は評価が低いというより酷評に近かった。お世辞にも高い歌唱力とはいえず、素人の私が聴いても完全に歌詞の棒読み状態。「オリビア〜」のヒットは、ひとえに尾崎亜美の楽曲の素晴しさによるもので、杏里自身の実力でない事は明白。
A面の4曲目(抜粋)
痛々しい限りの頼りないヴォーカル・・・
モデルあがりの高校生がいきなりメジャー・デビューできる当時の音楽業界とは、なんと不可思議。
と、思いつつ私はこのアルバムが大好きなのである。
彼女の嫌みのない清々しい声質と、とにかく一生懸命歌う姿に胸がときめいた。
B面の2曲目「中国人形」〜アルバム中一番好きな曲。将来の大ブレイクをそこはかとなく感じさせるナンバー。当時の彼女の歌唱力にはぴったりの楽曲だと思う。


そして、この粗製濫造のエセ・ニュー・ミュージック界から、彼女は実力で這い上がってくる!
Feelin’

Feelin’

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: フォーライフ ミュージックエンタテイメント
  • 発売日: 1990/03/21
  • メディア: CD
このセカンドアルバムは名盤です。僅かの期間で、この歌唱力の進歩。中低音のコントロールからアクセントの強弱、持ち前の美しいハイトーンが、地中海テイストの楽曲群とベスト・マッチ。完全に「自分の唄」のスタイルを確立しています。(大ヒットはしなかったが)

その後も地道な音楽活動を続け、1982年に「おもいきりアメリカン」が久しぶりにヒット。この頃は、私は完全に彼女の応援団状態。

そして翌年「CAT'EYE」「悲しみがとまらない」がメガヒット。夏女〜スタイリッシュ〜杏里のイメージ戦略で大ブレイク。
年末の紅白歌合戦での彼女の勇姿を見ながら、身近な同級生が突然、別世界に旅立ったような、一抹の寂しさを感じたのであった・・・

一方、白井貴子のデビューアルバム「DO FOR LOVING」(1981年)
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1959年生まれ、当時22歳。彼女はオーディションを通ってのメジャー・デビュー。
音楽的素養に恵まれ、ほぼ全曲を作詞作曲。
デビュー・シングル「内気なマイ・ボーイ」A面2曲目。
たどたどしい爽やかさというべきか?やたらと耳に残るメロディー。
デビュー時の杏里と違い、既に歌いこなしている印象が強い。バック陣も好演ですね。
私のfavorite song「風の中」隠れた名曲です。B面5曲目。
彼女が“自分の詩”を壺に嵌って“詩った”時は、当時から心が洗われる気分になる。

その後、ロックバンド「白井貴子&クレイジーボーイズ」を結成。pops路線から大きな転身を計る。

爽やか過ぎる程のヴォーカルとブリティッシュ系のハードなビートの組み合わせ。ROCKの音圧に負けそうな気がする美しい声質であるが、さもありなん。透明感かつ芯のある歌声は、爆音の中で、より存在感を増し、ポジティブな楽曲群共々人気を博す。そして「ロックの女王」への道へ一気に駆け上がる。

1985年発売のFlower Powerは、数ある国内ROCK盤の中でも元祖和製女性ロッカーとしての記念碑的な名盤だと思う。ようやく世間にCDが普及し始めた頃だったが、このアルバムをLPで何度も聞き返すほど惚れ込んだ作品だった。

・・・自分が社会人生活に入る頃から、徐々に二人の音楽と次第に距離が開いていった。あれから二十数年。
今でも歌い続ける彼女達をたまにメディアで発見すると、同窓生を陰から応援しているような気分になる。


「名前のない愛でもいい」2008年(白井貴子)

年齢というか、歩いて来た生き様が唄に表れてくるのでしょうか?

ふたりとも素晴しい女性であり、私にとってかけがえのない歌姫です。

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