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「乾山晩愁」葉室麟 [〜老眼はつらい〜]

最近、日本の古美術がマイ・リバイバル・ブームみたいである。

乾山晩愁 (角川文庫)

乾山晩愁 (角川文庫)

  • 作者: 葉室 麟
  • 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
  • 発売日: 2008/12/25
  • メディア: 文庫
日本の絵師5人にまつわる短編集。

1)乾山晩愁〜尾形乾山
2)永徳翔天〜狩野永徳
3)等伯慕影〜長谷川等伯
4)雪信花匂〜清原雪信
5)一蝶幻景〜英一蝶

各々の芸術家の生き様を、史実に基づきつつ、味わい深い文体で描いた小説である。

美術展巡りはひとつの趣味ではあるが、絵画の道にさほど詳しい訳ではない。
「心動かせられるものとの出会いを求めている」と、言った方が正しいかもしれない。

かろうじて名前だけでもを知っていたのは、狩野永徳と長谷川等伯。残る3人の名は、初めて知った。
短編から「人となり」が想像されると、どうしてもその作品も見てみたくなる。私にとっては無名の3人をご紹介。

尾形乾山  「おがたかんざん」と読んだ時点で、日本美術を語る資格は無いらしい。「おがたけんざん」と読む。実兄が、私でも知っている「尾形光琳」
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←(風神雷神図)で有名な巨匠である。

その偉大な兄の影で、愚直なまでに己の作品を作り続けた陶芸家である。弟が器を焼き、兄が絵付けをした初期の名品が多く残されている。小説では、兄・光琳が没した年、乾山54歳からの後年を描いている。兄との回想場面から、兄弟の静かなる確執・美意識の違いが窺えて興味深い。
光琳「絵に情なんかいらん、美しかったらええんや。世の中の義理やら情に足すくわれたら宗達(俵屋宗達)はんのような絵は描けんで」
乾山「わしは鈍やさかい、道を見つけ出すのに時間がかかる。兄は光輝く光琳やったが、わしは乾いた山や、このままでは花も咲かんがな」

今風で言うと「下手うま」かもしれません。
乾山「わしは書には自信があるが、絵では兄さんにおよばん。素人同然や
されど、溢れ出る感性が、足らない技術を凌駕する!
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70歳を過ぎてから江戸に下った乾山は、晩年は絵筆をとることが多くなった。
小説にも登場する「花籠図」
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(兄さんにとって絵を描くことは苦行やった。この世の愁いと闘ったのや。そうしてできたのが、はなやかで美しい光琳画や。わしは、愁いを忘れて脱け出ることにした。それが乾山の絵や)


「花といへは千種なからにあたならぬ 
            色香にうつる野辺の露かな」





享年81歳。
自己の境地をとことん追求して止まなかった孤高の芸術家である。



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(乾山に関する楽しいコラムを見つけた)









清原雪信 「きよはらゆきのぶ」五編の中で唯一、登場する狩野派の女絵師。という事で狩野派のお勉強。
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狩野探幽の弟子・久隅守景の娘「雪」が雪信である。
探幽の直弟子となり、閨秀画家としての頭角を現し始めた矢先、同門の男性と駆け落ち。破門されたが、その後京都に上り、町絵師として活躍する。
井原西鶴の「好色一代男」に「白繻子の袷に狩野の雪信に秋の野を書かせ、」と書かれている。

5つの短編の中では一番好きだ。成長する女絵師の姿を、当時の江戸狩野派の本家争いを背景にして活き活きと描いている。売れっ子絵師の地位をかなぐり捨てて、同門・守清の元に走る雪信と、その妹を必死で守る兄・彦十郎。「情たっぷり」の洒落た短編である。

彼女の作品は、瀟酒かつ優雅。要するに(くどくなくて、おしゃれ)(キューティー&エレガント)若き日のオードリー・ヘップバーンみたいな女性だったのかな?
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最後に
英一蝶 「はやぶさいっちょう」と読む。本名・多賀朝湖。狩野安信の元に入門するも、放蕩生活により破門。吉原通いで遊びつつ、自ら太鼓持ちとして旦那衆から小銭を稼ぐ気侭な暮らし。風俗画を描きながら、俳諧にも親しみ、幅広い交友関係を持っていたと云う。ついに、遊びが過ぎて、三宅島に12年間流罪になる。江戸に戻り、「英一蝶」と名乗り、町絵師としての名声を築く事となる。

朝湖と大奥上臈・右衛門佐との儚い恋がいい。大奥内の権力争いに巻き込まれながら、身分を超えて惹かれ合う二人。流罪の原因も小説内では、この権力闘争が遠く関係していると書かれている。ひもじい配流生活の中で、初めて「絵を描く事は、生きる事そのものだ」実感する朝湖。江戸に戻った彼は、島流しに挫けなかった絵師として、もてはやされる事になった云う。
興味深いのは、前章の久隅彦十郎(清信の兄)が登場したり、一章・乾山晩愁で語られた「赤穂浪士討ち入り」の原因が実は、朝湖が
右衛門佐に託した秘策だったり・・・ばらばらのはずの五編の短編が、実は繋がっているという仕掛けも、おつなものである。

流罪の原因とされた「朝妻舟図」
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「布晒舞図」
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彼の交友関係の中で、俳諧師「宝井其角(たからいきかく)」が登場してびっくり。我が街の鎮守「三囲神社」にある石碑に刻まれている俳諧が、そのまま引用されていた。

日本美術歴史の勉強と通り過ぎていた隠れた名匠との出会い。これだけでも有難いのに、静謐な文体で綴った芸術家達の「それぞれの闘い」。名作だと思う。

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